文化 ~家康公が築いた誇り~ 印刷用ページ

最終更新日:
2016年4月1日

家康公も愛でた芸術の源泉

 霊峰富士を望む三保松原は、古来より多くの文化人の心をひきつけ、三保松原を題材にしたさまざまな絵画や文学作品が生み出されました。家康公も風光明媚なこの地をたびたび訪れ、御座船からの絶景を楽しんだといわれています。また、朝鮮通信使が清見寺を訪れた際には、三保松原を眺める遊覧でおもてなしをしました。
 高度で洗練された江戸文化の発展は、家康公の長年の夢だった「平和な時代」の実現が基盤となっているのです。
富士山と三保松原

「徳川家御用達」の茶どころ静岡

茶室

 家康公は、薬用としてお茶を愛飲し、武士のたしなみとして茶会を開催していました。
 春には、名器の茶壺に献上茶を詰め、標高1000メートルを超える井川大日峠の御茶壺屋敷の「お茶蔵」に保管し、熟成させていました。そして晩秋に駿府城へ運ばせ、その味わい深い風味と香りを家族や家臣らとともに楽しんだといわれています。
 のちに、足久保のお茶が江戸城に献上する「御用茶」に選ばれたり、駿府城下にお茶の取引を専門とする「茶町」が誕生するなど、静岡茶は全国に知れ渡りました。
 今でも葵区茶町や安西には、お茶を扱う多くの商店や会社が立ち並び、お茶の香りが漂う町となっています。

駿府の守り神、静岡浅間神社

稚児舞

 駿河国の総鎮守である静岡浅間神社は、武家だけではなく町人からの信仰も集める、まさに駿府の守り神でした。また、家康公が14歳の時に元服式(成人式)を行ったという縁から、家康公以来、歴代の将軍たちによって厚く庇護されてきました。
 大御所時代、家康公は晩年に生まれた子どもたちをとても可愛がっていたといいます。
 家康公は、たびたびこの神社で能会を催し、子どもたちや家臣たちと一緒に鑑賞していました。

廿日会祭と稚児舞(4月1日~5日)

 廿日会祭は、旧暦2月20日に行われていた浅間神社の例大祭です。
 この祭りの歴史は古く、戦国時代に今川氏のもとに身を寄せていた京都の公家の日記からも見てとれます。稚児舞は、宮廷芸能である舞楽が東海地方に伝播するなかで民俗芸能化したものであるとして、「静岡浅間神社廿日会祭の稚児舞」の名で、国の「記録選択文化財」に選ばれました。

駿河の伝統工芸が生んだホビーのまち

伝統工芸

 家康公の駿府城築城や、江戸期の久能山東照宮や浅間神社の造営に際し、全国から優秀な職人たちが駿府に集められました。特に19世紀に始まった浅間神社の造営工事には60年余を費やしたため、職人たちは何代にもわたり駿府に住みながら、自らの技術を地元の職人たちへ伝えました。これが駿河の伝統工芸に大いなる発展をもたらしたのです。
 そのような歴史が、現在の「ホビーのまち静岡」にもつながっているのです。

現代に継承される駿河の主な伝統工芸

駿河竹千筋細工

 丸い竹ひごで緻密に細工された竹製品です。江戸時代には既に、竹ひごを用いた花器、盆、虫籠などが生産され、街道を行き交う旅人に売られていました。現在でも、現代の暮らしに合わせた花器や行燈をはじめ茶托、虫籠からバッグまで様々な製品が作られ、全国で愛用されています。

駿河指物

 釘などを一切使わずに日本独自の道具である差金(さしがね)を用いて作られた精緻な木工製品を指物といいます。既に針箱、硯箱などは江戸期から作られていました。明治期には大量に輸出された漆器の木地の製造を指物師たちが受け持ちました。この技で、静岡は全国でも有数の家具産地へと発展しました。

静岡挽物

 轆轤で木をくりぬき作る製品が挽物です。元治元年(1864年)に箱根の銘木商によってもたらされ、第二次世界大戦後には米国への土産品、輸出品として栄え、一時期は全国一の生産高を誇りました。その後、雛具、家具等の部品生産が増加し、現在は文具や玩具、生活用品として生産されています。

駿河蒔絵

 文政11年(1828年)、駿府の塗師が信州の画伯に教えを受けた事が始まりといわれています。その後、漆器製品への加飾を中心に明治期には塗下駄が誕生しました。漆面に金・銀・錫を蒔くのが基本ですが、卵殻や貝を加飾した技術も活用されています。大正以降は雛具の興隆とともに一大産地となりました。

駿河漆器

 江戸時代、浅間神社造営などのため全国から優れた漆工たちが駿府に集められ、駿河の漆器をレベルアップさせることになりました。江戸末期には多数の漆器が輸出され、明治以降は様々な変り塗が開発されました。伝統的な重箱を代表とし、家具から椀、花器、菓子器、アクセサリーなど多くの製品が作られています。

駿河塗下駄・張下駄

 江戸時代より駿府では、流行の中心として多くの下駄が作られていました。塗下駄は明治時代に考案され、大正時代に漆器から転職した職人達により発展します。張下駄は、紙布や和紙などの素材を張り分け、型抜きなどの技術を駆使して個性豊かな製品に仕上げられています。

家康公が眠る久能山東照宮

久能山東証宮

 駿府城で75年の生涯を閉じた家康公を祀(まつ)るため、久能山東照宮が建てられました。
 ご神体を安置する本殿と、拝礼を行う拝殿を「石(いし)の間(ま)」でつなぐ「権現造(ごんげんづくり)」と呼ばれる様式は、当時の建築技術と芸術の粋を結集したものです。
 平成22年(2010年)には、建造物としては静岡県内で初めて国宝に指定されました。
 家康公は、死してなお「神君(しんくん)」として、愛した駿府のまちを守り続けているのです。

平和への祈り

楼門に施されている

 獏は武器となる金属を食べる霊獣で平和の象徴とされています。

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