平和へのメッセージ  - 平成30年度 - 印刷用ページ

最終更新日:
2019年4月1日

発表風景

平成30年度 戦没者を追悼し平和を祈念する式典で、「平和へのメッセージ」として発表・展示された、静岡市立千代田東小学校、西豊田小学校、清水第四中学校のみなさんの作品を紹介します。

千代田東小学校

 市立千代田東小学校では、6年生が国語の「平和のとりでを築く」の学習をきっかけに、平和な未来を築くためにどうしたらいいかを考えました。千代田東小学校で教鞭をとられた経験もある地域の方を招いて静岡空襲の体験談を伺ったり、インターネットや本などで戦争や平和について調べたりして、思いを作文にまとめました。

平和な未来はきっとつくれる

 6年  大村 彩笑

 今世界で続いている戦争や紛争が終わること、それは、平和な未来になるために大切なことです。平和な未来をつくるためには、学校の友達はもちろん、国が違う人とも交流して、きずなを強くしていくことが、その一歩になるものと考えています。

 平和でいるために私たちは何ができるのでしょうか。国語の授業で「平和のとりでを築く」を読みました。その中に、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」と、ユネスコ憲章の言葉が記されていました。私はこの言葉を、「常に平和を願うこと。」そして、「その思いをもち続けていくこと。」と受け止めました。

 今、戦争や紛争が続いている国は、どれくらいあるのかをインターネットで調べました。24か所もありました。私たちはこんなに平和にくらしていますが、平和とほど遠い場所がこんなにも多いのかと驚きました。

 6月26日、今年80歳になられる齋籐さんとおっしゃる地域の方が学校に来てくださいました。齋籐さんは、元教員で千代田東小学校にもいらっしゃった方です。齋籐さんのお話は、子供の頃に体験した戦争のことが中心でした。空襲で町が焼け野原になったこと、まだくすぶっている中に、たくさんなくなられた方がいたこと、お母さんと齋籐さん、妹は自宅の防空壕に逃げた後、近所の人に声をかけられ避難場所を変えたことで、命が助かったことなど、小学生の齋籐さんが目にしたことをわかりやすく話してくださいました。焼け野原だった町は、みんなが協力し、復興作業に取りかかったことで、少しずつもどっていったそうです。私は、昔の人たちがきずなや協力を大切にしていたことを強く感じました。

 今の私に何ができるか考えました。私の周りでも、ちょっとしたことでけんかになったり、友達関係がくずれたりすることがあります。私は、そんな争いをなくしていけるのではないかと思います。私の周りのことだけで、すぐに平和につながらないと思います。しかし私や友達が争いをしないような生活を心がけ、「けんか」がなくなることは、平和につながることだと私は思います。

 今の平和なくらしがずっと続いてほしいと思います。戦争や紛争が続いている地域も平和になって幸せに暮らしてほしいと思います。

 常に平和を願うこと、その思いをもち続けること、そして、身近な争いを減らし、みんなが気持ちよく暮らすこと、私にできることは限られます。一人でも多くの人が、平和を願い、小さなけんか一つでも減らしていくことが、平和につながり、より良い、だれもが幸せに暮らしていく未来につながっていくのだと思います。

一人一人が考えてよりよい未来へ 

 6年  影山 みゆ

 「争いのない、平和なときがずっと続くこと。」これは、より良い未来にとって欠かせないことです。私たち一人一人が平和について深く考えることが、「平和な世界」への第一歩であり、「よりよい未来」への第一歩だと考えています。
戦争や原子爆弾の悲さんさは、その時生きていた人しか知りません。戦争が終わって70年以上経った今を生きている私たちには、ふつうに考えて分かることではありません。だからこそ、悲さんさや大変さを経験した人々のことをよく考え、平和につなげたいと思います。

 先日、静岡でその時代を経験した斉藤さんのお話を聞きました。空しゅうの後の町には、死んでいる人がたくさんいたこと、物がなくて思いもかけない物まで盗んでいく人がいたことなど、想像できない悲さんで大変なことをたくさん話してくださいました。斉藤さんは、荒れ果てた町を立て直してくれた人たちに感謝しかないとも話していました。焼け野原の真っ赤な世界を見なければいけないなんて日が二度とない未来が良いと私は思います。

 広島の原爆も同じです。一瞬のうちにたくさんの生命がうばわれ、川は死者でうまるほどだったと言います。爆弾が投下された後、直下にあった物産陳列館が無残な姿で焼け残り、「原爆ドーム」と呼ばれるようになりました。1996年、世界遺産に登録されています。「原爆ドーム」は、見る人の心に平和のとりでを築くための世界遺産です。被害がどれだけ大きかったのか、戦争はどれだけおそろしいものなのか、それを未来に語り継ぐ遺産であると思います。
でも、平和について深く考えるだけでは、平和にならないのではと考える人もいるでしょう。しかし、私は、一人一人が考えれば争うことのこわさや平和の良さに気付き、争いは減っていくと考えます。今争っている国でも、人々が「戦争」や「平和」についてじっくり考えれば、争いは減っていくと思います。

 争いのない平和なときが、この先ずっと続いてほしいです。そして、平和で安心して暮らせる場所が、少しずつでも増えていってほしいと思います。私にできることは、「平和」「戦争の悲さんさ」について学び、今以上に考えていくことです。そして、私自身が、小さな争いごとをしない、周りの人にも呼びかけていくことをしていきたいと思います。「それだけ?」と思うかもしれませんが、私はそれも大切な「よりよい未来への一歩」なのだと思います。

戦争のない世界へ 

 6年  前園 梨乃

 「平和な暮らしがずっと続くこと。」これは、これからの未来に欠かせないことです。そのためには、戦争をなくすことが、平和になるための第一歩であり、より良い未来への第一歩だと私は考えました。

 三年生の冬休みに原爆ドームに行きました。原爆ドームは今にも崩れそうでした。平和記念公園にある資料館に入ると、まず目に入ってきたのは、並んでいるきのこ雲の写真でした。奥へと進むと、今では考えられないような戦争を体験したことのある人にしか分らない残酷な日本の姿の写真がありました。

 家に帰ってきた私は、戦争のことが気になり、もっと知りたいと思いました。ユーチューブで調べ、戦争のドラマを見ました。「妻と飛んだとっこう兵」というタイトルです。ドラマを見た私は、戦争は二度とやってはいけない、今のような平和な暮らしが続くためには、戦争をなくすことが大切だと強く思いました。

 ただ、戦争をなくすために具体的に何をすればいいのかと思う人もいると思います。戦争をなくすと言ってもそんな簡単な事ではありません。しかし、世界中の人々が戦争をなくしたいと願うなら、それは無理なことではなくなるのではないでしょうか。

 世界中には平和ではない国が少なくありません。一刻も早く戦争がなくなってほしいと思う人はたくさんいるでしょう。苦しんでいる人たちを救うことができないかもしれません。戦争をなくすことも無理かもしれません。しかし、一人一人の戦争をなくしたいという思いがあれば、いつかは実現することができ、平和に繋がるのではないかと思います。

 私は、今の平和な暮らしがずっと続いてほしいと思っています。私にできることは、とっても小さなことかもしれません。しかし、小学生の自分が今できることを考えていきたいと思います。戦争や紛争のこと、核兵器のことなど、知らないことがたくさんあります。この学習をきっかけにして、一歩踏み出そうと思います。それが平和につながり、より良い未来につながっていくのだと思います。

西豊田小学校

 市立西豊田小学校では、静岡平和資料センターから語り部の方をお招きして、6年生が静岡空襲の体験談を聞きました。そして「未来がよりよくあるために」という国語の教材で、意見文を書く学習に取り組み、どんな未来にしたいのか、そのために何ができるのか、自分の考えを友達と伝え合いました。

戦争を無くす、平和を無くさない

 6年  望月 太智

 1945年、日本の夏。8月6日、広島、原爆被弾。8月9日、長崎、原爆被弾。8月15日、終戦。日本は闘いで壊れ、数えきれないほどの戦争犠牲者を出した。ここ、静岡でも、6月20日に大空襲があり、犠牲者が出ている。こうした事実は、自分に、「戦争と核爆弾は永遠に無くなってほしい。これからずっと世界全体が平和であってほしい。」という気持ちを起こさせた。そのために、自分にできること。それは、戦争のおそろしさを伝えていくことだ。戦争のおそろしさを人々が知れば、世界は平和に近づいていくのだ。

 6月下旬、自分の学校に田中さんという方がいらっしゃった。田中さんは静岡大空襲を体験し、大やけどを負った。田中さんは体験した空襲のことを話すことがとても辛いはずなのに、自分たちに向かって空襲のことを話して下さった。田中さんの話に心を強く打たれた自分は、田中さんのように次の世代へ語り継いでいき平和を守ろうと思った。

 自分は、戦争についてもっと知ろうと思い、インターネットを使い、戦争を調べた。調べていく中で、ある言葉を見つけた。「戦争って言葉をなくせばいいんですよ。『大量殺人』でいいんです。」美輪明宏さんの言葉だ。一見、この人の言葉は、「ただ言葉をかえただけの意味の言葉だ。」と思うだろう。しかし、この言葉の本当の意味は、「戦争をやっても大量に人が殺されるだけ。戦争をしても人が死ぬだけでなんの良さもない。」と、戦争をしていたり、戦争に賛成している人に向かってうったえかけるものなのだ。自分はこの言葉に強く心をうたれ、戦争反対の思いをさらに強くした。

 戦争のおそろしさを伝えること、戦争を無くすことがすぐには結び付かないと思う人もいるだろう。しかし、世界中の人に伝えたとしたら平和につながると自分は思う。

 今は決して平和とはいえない。まだ戦争をしている地域が世界各地にあるからだ。でも、戦争のおそろしさを伝え歩く田中さんのような人たちがいる。それを聞いた自分たちのような小学生一人ひとりの心に戦争のおそろしさは広がっていく。さらにその気持ちを周りの人たち、自分たちの子どもに伝えていったとしたら…世の中は、平和に向かっていくのだと思う。

 戦争を知らない世代だからこそ、戦争のおそろしさを知り、それを次の世代へと語り継いでいこう。そのためには、この戦争がなぜ起きたかを学ぶことが必要だ。戦争を無くすために。平和を無くさないために。

一人一人が大切

 6年 石川 瑞季

 平和で安全なくらしが続くこと。これは、よりよい未来に欠かせないことだ。そのためには、みんな仲良く、助け合うこと。私は、これが平和で安全な未来への第一歩だと思う。

 学校で、平和資料センターの田中さんから静岡空しゅうのお話を聞いた。静岡の街中が焼け野原となり、多くの人がぎせいになった。

 そんな静岡空しゅうの話の中で、安倍川花火大会の話が出てきた。多くの人が悲しみ、苦しんだ静岡空しゅうとお祭りのような安倍川花火大会の関係が気になって調べてみると、安倍川花火大会が始まったきっかけは、静岡空しゅうで亡くなった方の慰霊、鎮魂、復興への祈りだということが分かった。

 今も、様々な自然災害により復興中の地域がたくさんある。ニュースで見るだけで心がどん底に落ちる気分になる。それでも、そこにいる人たちはみんなで協力し合いながら、ボランティアの人たちの助けも借りながら、一つずつ作業を進めている。人と人が協力し合い励まし合いながら、元気を取り戻そうとがんばっているのだ。

 ただ、普段の生活の中では、だれとでも助け合うのは難しいと感じる人もいるだろう。私にも、「苦手だな。」と感じる人はいる。しかし私は、そんな相手とも他の人と同じように接するようにしている。そのためには、まずは、あいさつをすることだ。また、一人で関わりにくいときは、友達といっしょに大勢で関わる。そして、相手の良いところを見つける。

 私は、「しっかりした子」が少し苦手だった。しかし、班やクラスなどで、みんながなかなか静かにならなかった時、その子がしっかりと注意をしてくれたことで、みんなが静かに集中することが出来た。苦手と感じていたことはその子のとても良いところでもあったのだ。このように、だれにでも良いところがある。それを見つけようとすれば、自然と良い関わりができる。そんな関わりが困ったことがあったとき、一番大切になるのだと思う。

 今の平和で安全な暮らしがずっと続いてほしい。そして、そんな暮らしができる人が世界中で増えていってほしい。募金やボランティア活動などに私も参加してみたいと思う。そして、身近にいる人、一人一人を大切にして、助け合える関係を作ること。それがより良い未来につながるのだと思う。

ボランティア活動をすることはよりよい未来への第一歩

 6年  佐藤 きらり

 平和な暮らしが、ずっと続くこと。これはよりよい未来に欠かせないことだ。そのためには、世界中の人々にボランティア活動の魅力を知ってもらい、少しでも、興味をもって活動してもらうこと。私は、これが平和への第一歩であり、よりよい未来への第一歩だと考える。

 ある日、ごみ拾いをしている人を見た。その時私は、毎日気持ち良く生活していられるのも、こういう人たちのおかげなのだと実感した。今の平和な暮らしは、自分たちが努力して守っていかなければならないものなのだ。

 平和な暮らしが、ずっと続くために、自分に何ができるだろう。そう考えて、実際にボランティア活動に参加してみた。その時の、「ボランティアをやると、自分も周りの人も気持ちよくなる。」というのボランティアの人たちの言葉が印象に残っている。これは、平和な暮らしが、ずっと続くためには、まず、環境を整えていくことが大切、という意味だと私は思う。平和と言うと、何か大きくて難しいもののように感じるけれど、このように、身近なことからも考えることができるのだ。

 ただ、ボランティアと平和とが、すぐには結びつかない人もいるだろう。確かに、私の周りの人だけがボランティア活動をしていても、それがそのまま平和につながるとは感じにくい。しかし、世界中の人々が、それぞれにボランティア活動に興味をもち、少しでも活動してくれる人が増えたら、それは平和につながることになるのではないだろうか。

 今も、世界には、決して平和とはいえない地域がある。そのような場所で、支援活動をしているのも、ボランティア活動をしてくれている人たちなのだ。私は、そのことを、最近知った。そのホームページには、ボランティアにも様々な種類があると書いてあった。例に挙げられているのは自然災害がおこった時に支援活動を行う「災害ボランティア」、障害のある人や高齢者の方のお世話をする「デイサービス」、水辺の事故を防ぐことを目的に活動する「ライフセービング」などだ。私はそれを見て、世界中のどんな場所であっても、ボランティア活動に取り組むことで、平和につながるのではないかと思った。

 今の平和な暮らしがずっと続いてほしい。そして、平和な場所が、少しでも増えていってほしい。私にできることは、実際にボランティア活動に参加してボランティアの魅力を世界中の人に知ってもらうことであり、少しでも、ボランティア活動に興味をもって、活動してくれる人が増えていくことだ。単純なことに聞こえるかもしれないが、それが平和につながり、よりよい未来につながっていくのだと思う。

私の命あなたの命

 6年  内山 あおい

 この世界には「平和」という言葉があります。この「平和」が続くためには、何が必要なのでしょう?私は、命を大切にすることが大切だと思います。私は、命を大切にすることが平和な未来へとつながると考えます。

 5年生の時に井川で「命をいただく」という勉強をしました。自分で魚をつかまえて、腹を切り、内臓や血そうを取ってくしにさしました。魚は、腹を切っても2~30秒はピクピクとうごいていました。私は、心の中で、「ごめんね。」や「もし私達につかまらなかったら、こんなに苦しくなかったのに。」と何度も何度も言いました。ふと、魚の顔がみえた時は、なみだがでそうで必死にこらえていました。そして少し塩をふって焼いてもらいました。その後からはあまり覚えていません。ただ骨まですべて食べました。命とは一瞬で消えてしまうものだと感じました。

 では人はどうでしょう。今はいっせいに亡くなるというのはありませんが昔にさかのぼってみるとありました。静岡にも「静岡大空しゅう」という空しゅうがありました。1945年昭和20年6月19日深夜から20日未明にかけてアメリカ軍のB29爆げき機により今の葵区や駿河区が焼け野原になりました。「水を…水をくれ。」と言いながら、たおれていく人たち。想像するだけでぞっとします。静岡大空しゅうで亡くなった人たちは、1952名。西豊田小の生徒のおよそ2倍です。私は考えてみました。もし、私が亡くなったら、どれほどの人が悲しむだろうかと。まず、最初に思いつくのは、家族です。お父さん、お母さん、妹、弟、おじいちゃん、おばあちゃん、そしていとこ、はとこ、そして友だちです。数えてみた所、私一人が亡くなると、約百人の人が悲しむことになります。なので、空しゅうで1952人の死者が出ましたが、その百倍の人が悲しむのです。

 しかし、そんな「命が大切」ということは、だれもが分かっているのではないかと思う人もいるでしょう。たしかに、今は、戦争などのたくさんの人が亡くなるという事件はありませんが、殺人事件という事件は、今でもたえず起きています。全員が命を大切にすれば、殺人事件がなくなると思います。そう、「平和」につながるのです。

 今の日本を日本人全員が「平和」だと思っているでしょうか?私は、思っていないと思います。自分が思う「平和」とは、殺人事件もなく、人々がみんな「平和」と思えるような日本が本当の「平和」だと思います。私に出来ることは、あまごの体験をしなくても、毎回の食事で自分に食べられる動物たちの命を考えること。そして、それを友だちから広めることです。いつも、意識することは難しいけれど、食事の時だけでも思い出してもらえればと思います。

 この「命を大切にする。」という気持ちが広がり、たくさんの人に伝わっていってほしいです。なぜなら、それが、よりよい平和につながるのだから。

スポーツで世界の人と仲良く交流

 6年  田中 紅羽

 世界中の人と仲良くすること。そのために交流することが大事だ。世界中の人と交流するために、スポーツで交流するのが良いのではないだろうか。

 6月から、サッカーワールドカップが行われていたのは知っているだろう。日本からも多くのサポーターが足を運んだ。日本はおしくもベスト16で敗退。しかし、日本サポーターは「あること」で世界をおどろかせた。7月3日、ベルギー戦のことだった。日本はベルギーに2対3で負けた。サポーターのショックは大きく、試合後、泣きじゃくり、うなだれる姿があった。しかし、気持ちを切り替えて、日本サポーターはごみを拾い始めた。このことにイギリス紙The Sunは、「彼らは敗者ではないことを証明した。」と称賛。USA TODAYは記事中で、「負けても彼らの素晴らしい精神は無くならなかった。」とコメントした。日本サポーターはベルギー戦以外の3試合でもごみ拾いを行った。ベルギーのサポーターもごみ拾いをしている姿があった。私は、日本と他国が交流していることに、感動した。

 よりよい未来は、スポーツにおいての交流では実現できないと思った人もいるだろう。

 確かに、スポーツだけで世界中の人と交流できるとは感じにくいかもしれない。しかし、今回のワールドカップのように、日本の良い所に他国が関心を示してくれたら、それは世界が平和になる交流の一つになると思う。日本の良い所、他国の良い所を世界がまねをすると、良いところがいっぱいの世界になるかもしれない。

 スポーツでも、オリンピックやパラリンピック、ワールドカップなどの開さい地がある。交流する機会はもっともっと増えるだろう。

 最近、世界の人と交流する機会が増えてきている。自分が世界と交流するために、まずは、学校で、ALTの先生などと、少しでも交流することだ。自分が知っているかぎりの言語でいい。目指すは、2年後の東京オリンピックだ。もし、会場に行くとしたら、まずは、「ハロー。」と元気よく声をかけてみようと思う。小さな言葉一つだが、これも、交流するための一つだから。

清水第四中学校

 市立清水第四中学校では、空襲や当時の中学生の様子がわかる写真や資料を、静岡平和資料センターから借りて校内に展示し、全校で平和学習に取り組みました。国語や社会の授業を通して1・2年生は全員が平和へのメッセージを作成し、3年生は第二次世界大戦がなぜ起こったかを学び、平和について考えました。

戦争を体験していないからこそ、強く平和を

 3年  照井 沙弥 

 わたしは、今、14歳の中学3年生です。

 今年の夏は、災害レベルという異常な気温を初めて経験しました。観測史上、初めてという気温も更新されました。だれも経験したことのない自然の猛威は、連日、報道され、様々な対策がされています。7月28日の台風12号を心配した時には、台風情報を報じるテレビから聞かれた「これまでの経験が通用しない」という言葉が、警戒心をいっそう強めました。

 経験したことのない…73年前に終戦を迎えた戦争はどうでしょうか。

 もちろん、わたしは、戦争を経験したことがありません。わたしが生まれるよりも約60年前のこと。平成30年の今、多くの人が戦争を経験したことのない状況になっています。

 今日の日を迎えるために、わたしは、今まで知らなかった戦争について、あらためて調べたり、聞いたりしました。戦争が恐ろしいのは、知っています。しかし、どれほど恐ろしいのかは知りませんでした。わたしだけではなく、わたしたち清水第四中学校の全校生徒も学校に展示した戦争中のパネルを見て、「戦争は二度と起こしてはいけない」と強く思いました。わたしはまず、知ることが大切だと考えて、調べたり、聞いたりしているうちに、それだけでは足りないのだと思うようになりました。

 それは、伝えることです。戦争を経験していないわたしたちだからこそ、強く平和を願い、戦争について「知ること」と「伝えること」をしなければいけないのではと思うようになったのです。わたしたちは、戦争を経験した方々からのバトンを受け継ぎ、次の世代へ伝えなければいけないのです。

 わたしの祖父は、戦争当時、田舎に住んでいました。そのため、祖父が住んでいたところは被害があまりなかったけれど、空襲警報が出たときには、近所の山の中にあった防空壕の中でB29が去って行くのを待っていたそうです。そんな田舎にも何百機も来たそうです。

 毎年行われている安倍川の花火大会は、戦争で犠牲になった多くの人々の慰霊のために行われていること、1945年、6月20日の静岡空襲、7月7日の清水空襲を、わたしたちが住むこの静岡、清水でも空襲被害があったことを伝えていかなければいけないのです。

 爆撃を受け、街は一瞬で火の海になり、巴川に飛び込んで亡くなった人もたくさんいました。
 わたしよりも若い10歳の女の子が空襲から逃げる途中で、左足に爆弾の直撃を受け、安倍川に転げ落ち、家族に助けられて、日赤病院に運ばれました。彼女は、「勉強のしたくをしなきゃ、明日、学校でテストがあるから」という言葉を最後に、亡くなりました。彼女はどんなことを伝えたかったのでしょうか。当たり前のように迎えていた明日を、突然奪った戦争を、どう伝えたかったのでしょうか。今は、スマホや携帯電話があり、ラインや電話で簡単に友だちとコミュニケーションをとることができます。当時の子どもたちにとって、明日、友だちと会うこと、会って話をすることは、本当に楽しい時間だったと思います。そんなささやかな日常を戦争によって奪われたのです。

 戦争の経験をしたことがないと犠牲者の数に驚かされます。でも、その一人一人に大切な人生があったはずです。その一人一人が伝えたかった思いを受け継ぎ、次の世代へ伝えていかなければなりません。
 戦争の知識だけではなく、想像力を働かせて、一人一人の痛みを伝えていかなければなりません。

 戦争体験をもっている方に、「当時と現在で大きく変わったものは何か」をたずねました。どんなものだと思いますか。
 「テレビ、炊飯器、冷蔵庫、車、洗濯機、電子レンジ、携帯電話」、「当時からは想像できない技術の進歩だね」という答えでした。
 戦後73年、驚異的な技術の進歩です。では、人はどう成長したのでしょうか。経験したことのない危機を回避するために行動できるように成長できたのでしょうか。

 73年の時を経て、今に生きるわたしたちは、多くの方々の犠牲と戦後の苦しい時代を現在につないでくれた多くの方々の努力を忘れることなく、しっかりと生きていきたいと強く思います。

 戦争を体験していないからこそ、強く平和を願って。

平和へのメッセージ

◆世界を平和にするための一歩   2年  入江 七海

 静岡に大きな被害をもたらした静岡空襲。今から73年前、私たちが生まれる約60年前の出来事だ。
 私は、この静岡空襲の資料を読んで改めてこんなにも恐ろしいことがあったと知ることができた。朝起きて防空壕の外に出てみるとたくさんの人が亡くなっている、そんな光景は誰も見たくない。今の日本でも国内での事件は多くあるが、外国と日本との戦争は一つもない。あの恐ろしい戦争を二度とくり返してはいけない、そんな運動が進められているからだ。私たちが戦争について深く知り、次の世代に伝えていくことで争いはもっと少なくなると私は思う。私は戦争の怖さについて世界の人に知ってもらいたいと思った。二度と戦争を起こしてはいけない、それを世界に伝えていき争いのない明るい社会を作りたい。


◆平和へのメッセージ   2年  小川 雄大

 昭和20年7月7日。我が町にも空襲が来ました。死者151人、負傷者206人、市街地の焼失52パーセント。その前に起きた静岡空襲により、皆が気を付けていたため、静岡空襲ほどの被害は出ませんでしたが、それでも死者が151人も出るほど、B29から落とされる焼夷弾は、恐ろしいものでした。皮膚はただれ、服はボロボロ。それでも尚、助けも求め、はいずり、のたうち回る。親しい人の死に涙することもできぬまま、その身は焼かれていきました。
 私たちの平和な今は、このたくさんの犠牲のもとに成り立っています。そんな中で、いま、いじめが絶えなかったり、相手の死を望む言葉が日常的に飛び交っている今ですが、それは本当に日常的でいいのでしょうか。なぜこんなに平和な世の中なのに、命を大切にできないのでしょうか。国家のため、未来のために散っていった尊い命のことを、今一度、改めて考え直すことも必要だと思います。


◆忘れてはいけないこと   2年  三宮 愛莉

 私は「戦争」と聞くと、長崎県と広島県が原子爆弾を落とされたことが、頭に浮かびます。
 しかし、静岡県も大きな被害を受けていたことを知りました。死者1766人、負傷者6654人、市街地の66パーセントが焼失と、とっても大きな被害がありたくさんの人が、命を落としました。
 のたうちまわる重傷者がいたり、防空壕に入っていた一家5人が亡くなってしまったり戦争では生き残ることができたけど、あまりの衝撃に亡くなってしまった人など、たくさんの人が苦しんでいたと思います。その事を知った私も胸が苦しくなります。でも、だからといって、忘れていいことではないと思います。だからこのことを忘れずに、次の世代にもうけついでいきたいです。


◆平和へのメッセージ   2年  田中 大雅

 私は、「静岡大空襲」について知り、決して忘れてはいけない、生きていく中で大切なことなのだと、感じた。
 多くの命を一瞬にして奪った空襲を見て、その空襲の犠牲になった者、またその家族はどれほどの恐怖を感じただろうか。
 「待合室で大きな声がする。目を覆いたくなるような光景だった。生きた化け物を眼前に見たからである・・・。」死者、1766人負傷者、6654人。焼けた街、のたうちまわる重傷者が目に映る。一人の人間が何かを変えられるわけでもない。
 今の自分達が出来ることは、そんな状況をたくさん人に知ってもらうことだと考えた。戦争があった過去をけすのではなく、しっかりと過去に向き合い、二度と起きてはならないことだと学ぶことで平和が続くと思ったからだ。



◆平和へのメッセージ   2年  小川 さくら

 私は、今日初めて、安倍川の花火大会が戦争犠牲者の慰霊のためだと知りました。静岡大空襲についても、初めて知ったことや、本当の事実などがたくさんありました。
 このように、静岡市民でありながら、自分の住む地域の戦争での被害、歴史を知らないまま、大人になっていく人が年々増えてきています。やはり、戦争を体験したことのある人達が老いていくにつれ、「戦争」とはどのようなものだったのか、伝えられる人が減ってきているように思えます。私は、戦争とは後世に伝えていくべきな忘れてはならないものだと思います。戦争を忘れてしまったら、また新たな戦争が始まってしまうのだと思うからです。私たちがこれからどのようにして、戦争の悲惨さ、恐ろしさを伝えていったら良いのかを、考えることが大切だと思いました。まずは、伝える側の私達が、静岡の戦争についてくわしく知る必要があると思います。今までよりも、戦争について関心を深めたいです。


◆平和へのメッセージ   2年  片山 凜

 私は今回、静岡空襲で死者が1766人、負傷者が6654人、市街地の66%を焼失したと聞き、とても驚きました。戦争が恐ろしいということは知っていましたが、ここまで悲惨な状況だとは知らず、体験記を読んだときは「こんなことがあったのか...。」と、とてもショックを受けました。また、清水空襲では静岡空襲ほどではないけれど、それでも死者が151人、負傷者が276人、市街地は52%も焼失したと聞き、静岡空襲で警かいしていたのにも関わらず、これだけの被害が出ると知り、戦争の恐怖というのを、あらためて感じました。
 私達の平和は、たくさんの人達の犠牲の上に成り立っているということを、戦争の話を聞かせてもらって強く感じました。そして、再び戦争がおこらないようにするには、どうしたらいいのかを考え、二度と戦争がおこらないように過去から学ぶべきだと思いました。


◆戦争のおそろしさ   1年  小池 真海

 私が、戦争の話を聞いたときに一番に思ったのは、戦争とはとても辛く、しても何も良いことがない、ひどいものだということだ。
 戦争をしたことによって、たくさんの人々の平和な暮らしが次々とうばわれた。奴隷のように働かされ、休めばひどい暴力を受けた。けがや病気で働けなくなった者が、生きたまま捨てられることもあったそうだ。父や母を失い、子供だけで生きなければならない人、せまい防空壕で空爆のおそろしさにふるえて夜も寝つけない人、食料がなく餓えて死ぬ人、空爆を受け、火だるまになって死んだ人。幸せに暮らせた人は、ただの一人もいなかった。
 ひどいことしかない戦争をしないためにも、そのおそろしさを次世代にひきついでいかなければならないと思う。
 私は、戦争のない明るい未来を望んでいる。


◆絶対に忘れない   1年  春田 若菜

 1945年6月20日に静岡、7月7日に清水にB29が襲いかかりました。多くの人が犠牲になり、大きな被害が出ました。静岡大空襲では10万発もの焼夷弾、清水大空襲では艦砲射撃を、この私たちの身近な場所でも受けました。
 当時、日本のために戦っていた多くの人が亡くなりました。今の生活があるのは、当時戦っていた人々のおかげなのではないかと思います。そんな姿を見せてくれた人々のことを忘れてはなりません。戦争には負けてしまったけれど、当時戦っていた人がいなければ、今、私たちはどんな生活をしているのか想像するだけで怖いです。
 今後、戦争は絶対にしてはいけません。そして、当時日本のために戦ってくれた人々にも感謝し、このことを忘れないようにしたいです。


◆多くの犠牲者を出した戦争   1年  望月 身江

 まだ私も、私の両親も生まれていない時代、多くの犠牲者を出す戦争があった。その戦争では今、私達が住んでいる静岡でも多くの犠牲者がでてしまっていた。
 1945年6月20日に123機ものB29による空襲、10万発もの焼夷弾により、静岡の人々は炎のつむじ風に全身が燃え、街は猛火に包まれた。このような事が起きてしまっている2時間半で2000名以上の犠牲者がでてしまった。
 戦争では何の罪もない人々を多く犠牲にしてしまう。命がなくなってしまえば何もできないのに。戦争というものがなければ幸せになれたかもしれないのに。もう二度とこのような罪もない人を無差別に犠牲にしてしまう戦争は起こってほしくない。自分も戦争にならないようにできる事があれば活動したい。


◆戦争の悲しみ   1年  太田 和輝

 1945年6月20日12時半過ぎ静岡の中心街は、123機ものB29による空襲を受けた。この空襲で10万発の焼夷弾が投下され、2時間余りで2000人以上という多数の犠牲者が出た。
 このような空襲の犠牲者の死は何も罪はないのに、たくさんの人々が無差別に殺されることは、いつまでも忘れることも許されない。
 僕は、このような戦争は二度と起きないようにしてほしい。そして、戦争へ行った人々へ感謝をしなければならないと思う。僕たちの地元清水にも123機のB29が襲った。この大空襲では僕たちの祖先も関わっている。こんな身近な人も戦争に関わっていると思うと戦争が起こした人々に聞きたい気持ちになってしまう。今後の未来に平和が続くようにしてほしい。


◆身近に起きた戦争   1年  瀧 双葉

 今から73年前、静岡大空襲でこの清水も焼き尽くされた。静岡大空襲では、B29が富士山を目標に侵入し、焼夷弾をまき散らした。私たちが防災について学ぶ、防災チャレンジウィークで行った日吉町駅にも焼夷弾が落とされ、地面にへこみができた。そして、電柱からも火の粉が舞い落ちてきたという。このことを知って私は、自分たちのすぐ近くや今、いる所でもすべて焼き尽くされていたのかもしれないと思った。この戦時中を生きた人々は、生きることだけを考えて走ってにげたのだと思いました。
 清水大空襲では、にげるのに必死で、巴川に飛び込んで亡くなった人もいた。
 私が、今生きているのは、この時代に生き残ってくれた人々のおかげだと分かりました。そしてどんな時間も大切にしていきたい。


◆忘れてはいけない日   1年  河村 晃太郎

 1945年6月20日、7月7日、静岡清水無差別大空襲が起こる。静岡空襲が起こった6月20日、午前0時半過ぎ静岡の中心街はアメリカ軍の123機のB29による空襲を受ける。2時間という時間で10万発もの焼夷弾による無差別空襲で町は猛火に包まれ、人々は炎の風に全身が燃え2000名という人達をなくしてしまった。この人達の家族や遺族の悲しみは、とてつもなく大きいと思う。今僕達がいるのは、おじいちゃん、おばあちゃん達が戦争で生きのびてくれたからだと思う。
 僕達は、生きのびてくれた人達の努力を、むだにせずにこの命を大切にして生きぬいていくことが必要だと思う。
 そしてもう二度とこのようなことがないように伝えていくのが僕達の役割ではないのだろうか。


◆平和へのメッセージ   1年  瀬戸 彩加

 今回学習した第二次世界大戦は、何年にもおよんだそうだ。私たちの住んでいる静岡県にも大きな被害があったらしい。毎日のようにアメリカのB29が飛んできて爆弾を落とし、人が次々にたおれていく。今の静岡の姿からは考えられないひさんな景色がくり広げられていた。大人の事情で、関係のない私たちのような子供たちも巻きこまれていたと知り、とても悲しい気持ちになった。生まれてくる時代が違うただそれだけの理由でたくさんの人がぶざまに死んでいったのだ。今、その時代に残された書類が残っているのはその怖さを伝え、二度と同じ過ちを起こさせないためだと私は思った。
 だから、これからの未来に戦争は起こしてはいけない。これからの未来を作って行く私たちが戦争を起こさないようにしていきたい。

 

本ページに関するアンケート

このページは使いやすかったですか?

本ページに関するお問い合わせ先

市民局 市民自治推進課 自治活動支援係

所在地:静岡庁舎新館15階

電話:054-221-1265

ファクス:054-221-1538

お問い合わせフォーム