平和へのメッセージ  -令和元年度 - 印刷用ページ

最終更新日:
2019年8月23日
令和元年度 戦没者を追悼し平和を祈念する式典で、「平和へのメッセージ」として発表・展示された、静岡市立松野小学校、清水高部小学校、長田西中学校のみなさんの作品を紹介します。

松野小学校

松野小学校 4年~6年生のみなさんによる合唱

 市立松野小学校では、平成31年2月に、地域にお住いの望月郁江さんから戦争体験のお話をうかがいました。郁江さんは10歳の時に、旧満州国から6歳の弟とたった二人で550キロを歩き通したそうです。

ステージでは、郁江さんが作詞した歌を、4年生~6年生全員で合唱し、メッセージを発表しました。

平和へのメッセージ

 6年 細川 康生 

 満州国から引きあげた経験を持つ望月郁江さんから戦争中のお話を伺いました。

 苦しみながら亡くなった人がいたこと
 人を守ろうとしながら亡くなった人がいたこと
 大切な人を亡くした人もいたこと

 多くの人々が言葉にできないほどの思いをしたことを知り、心がしめつけられました。

「『戦争』という言葉がこの世界から無くなるほどの平和な世界を作らなければならない」
 このような強い思いで、ぼくたちは『空に願いを』を歌っています。


『空に願いを』 

作詞:望月郁江
作曲:窪田由佳子

一、
お日様の光に輝き
青空に描かれた
平和の文字
雲にのって世界を回る
子どもたちの笑顔
風船にのって
世界をまわる
広がっていく

二、
描かれた平和の二つの文字
戦いがないから
みんな笑顔
憎しみ悲しみの涙は消そう
ほしいものは喜び
幸せの笑顔
みんなで語ろう
みんなで手をつなごう

三、
大きな大きな虹に
みんなで乗ろうよ
世界中にあふれる
子どもの声
笑顔を消さないで
涙は見たくない
喜びいっぱいの平和な世界
みんなの願い広がっていく


 

作文

身近な人の気持ちを考えて

 6年 横山 史佳

 戦争は多くの人の命をうばいます。周りの人の心も傷つけます。私は戦争を体験していないので分かりませんが、平和学習で、郁江さんの話を聞いて、悲しいことがたくさんあったことを知りました。人が次々と亡くなり、悲しい事件が毎日起きていました。家族や友達も失うのはとてもつらいことでしょう。食べ物もあまり食べられなくて、水もあまり飲めなくて、お金もなくて、ものすごくつらかったでしょう。今の日本は、戦争のない平和な暮らしだけど未来はどうなるか分かりません。でも戦争は絶対なくしたいです。
そのためには、子どもの時から友達と意見がちがっても、最後まで話を聞いたり、意見を伝えたりしていけばいいと思います。
 私はこれから二度と戦争が起きてほしくないと思います。だから、身近な人の気持ちを考えることや相手の気持ちをしっかり受けとめることを心がけていきたいです。

 

平和な世界

 6年 片山 茜

 戦争中の生活はとても大変だったと思う。ご飯もまともに食べられないし、すい眠だってとれない。逃げることに必死だっただろう。
亡くなってしまった方のことを思うと胸がとても苦しくなる。日本のためにつくしてくれた方などたくさんの方が亡くなってしまい、本当に悲しい。今でも、戦争のことを聞くと
胸がしめつけられる。今後、二度とこんなことがあってはならないと改めて感じた。今もどこかで戦争が起こっている。世界中の全てで、戦争が無くなってほしい。
 私にできることは何だろう。笑顔が絶えない世界になってほしいと願っていきたい。平和に暮らしていける世界を守っていきたい。平和の大切さをみんなに広めていきたい。一人ひとりが、そんな気持ちをもち寄ったら、平和な世の中が続いてくれるのではないだろうか。私も笑顔が絶えない世界つくっていく一員になりたい。

 

次につなげるのは自分

 6年 望月 拓実

 戦争をくぐりぬけてきた人の大変さは計りしれない。いつ死ぬか分からないのに進み続けた人々はどんな思いだったのだろう。戦ったり拷問されたり満州から日本に帰るときに
死んでしまったり・・・。それでも、必死に生き延びた人達は戦争の恐ろしさを多くの人に知ってもらおうと、日々話し続けている。しかし、「戦争なんて怖くない。」と思っている人も少なくはないだろう。
 戦争を経験した人達の「戦争は二度としてはいけない。」という思いを受けとった、これからの世代を生きていく僕たちに出来ることは、三つあるだろう。一つは、戦争を起こさないことだ。二つ目は、戦争を甘く見る人達の考えを変えること。もう一つは、次の世代や、その次の世代に語り継いでいくことだ。
 今、戦争経験者が少なくなってきている。先人の思いを次に託すことが出来るのは、平和な「今」を生きているぼく達だけなのだ。


 

清水高部小学校

 市立清水高部小学校のオリジナルキャラクター「カマキリじいさん」の由来について調べてみると、学校の大先輩にあたる石原禮次(いしはられいじ)さんが2年生の時に書いた詩「カマキリヂイサン」が昭和14年発行の国定教科書に採用されたことが分かりました。そして石原さんがその後の戦争で亡くなってしまったことも…。
6年生が地域に残された様々な戦争の記憶に触れ、戦争と平和について考えました。

平和な未来がつづくように

清水高部小学校 発表

 6年 池谷心優

 私が通う静岡市立清水高部小学校には、偉大な先ぱい方がいます。今日は、私たちの今を築いてくれた二人の先ぱいを紹介します。お二人の名前は石原れいじさん、大久保けんじさんです。私がその二人を知ったのは校長先生のお話がきっかけでした。石原さんと大久保さんが高部小学校の児童だった頃、二人の書いた詩「カマキリヂイサン」と「メダカサン」が当時の国定教科書にのり、全国の子どもたちに愛されていたと聞きました。私と同じ学校から二人も選ばれるなんて…。びっくりすると同時に、とてもうれしい気持ちになりました。将来も期待された二人、しかし当時の日中戦争、大東あ戦争で命を落としてしまったのです。
 二人が亡くなってしまった戦争とはどのようなものだったのか。調べてみると、今の生活では考えられないことが多く見えてきました。学校教育の場でも行われていた戦いのための「訓練」、毎日のように聞こえてくる「空しゅう警報」、子どもと親がはなればなれに暮らすことになった「そ開」。今まで私にとって教科書の中の出来事で、何か人ごとのようだった戦争が、実際に身近な場所で起きていた出来事だと感じ、こんなにも苦痛な日々を送っていたんだと知り、絶対にあってはいけないものなのだと強く感じました。
 私は戦争を経験したことがありません。でも、今回カマキリプロジェクトで学んだことで、みんなと一緒に過ごすこの当たり前だと感じていた生活のありがたさに改めて気付きました。大好きな家族と話せること、ご飯を食べられること、好きな音楽を聞けること、友だちと会って話ができること、授業を受けられること、学べること。過去の辛い出来事についても忘れることなく、今、こうやって平和に幸せに過ごせていることに感謝しこれから生きていきたいです。


 

平和な未来へ

 6年 片平美優

 日中戦争、太平洋戦争、第一次世界大戦…多くの戦争が過去に起きました。これらの戦争によって、たくさんの人々の命がうばわれました。この時代に生きていた人たちは、戦火におびえ、肉親の死を目の当たりにし、とても辛い思いをしていたと思います。子どもたちも戦争に巻き込まれてしまっています。このようなことは、もう絶対にしてはいけないと思います。
 これからの未来が平和であり続けるために、私は「話し合う」ことが大切なのだと思います。自分たちの国が思っていることと違う意見の国もあるかもしれません。向こうが間違っているという考えでは、何の解決にもなりません。それでは国は守れないし、国民を死なせているようなものです。その人には家族がいます。心を痛める人がたくさんいるのです。
 今は、昔より平和になったけれど、またいつ戦争が起こるか分かりません。実際、日本ではない国で、今でも戦争は起きています。戦争が起きている時代に生きたかった、戦争が起きている地域で生きたいと思っている人はいないと思います。だれもがこの平和な時代に生きていてよかったと思うと思います。だからこそ、戦争があった時代に生きていた人たちから今の私たちのような若い世代に、戦争の辛さ、恐ろしさを引きついで、つないでいく必要があると思います。絶対にしてはいけないということを、私たちがまた次の世代につなげていけば、今よりももっと未来が平和になり、悲しむ人がいなくなるのではないでしょうか。
 今私が一番願うことは、とにかく二度と戦争が起こらないこと。そのために、私たちのような戦争を知らない世代が語りつぎ、平和な未来を築いていくこと、私にできることをこれからも行っていきたいです。


 

平和に向けて

 6年 堀 奈月

 1931年に起きた「満州事変」これは、日本軍が南満州鉄道の線路をばくはして、それを中国がやったことにし、満州を占領したという事件です。カマキリプロジェクトの学習で戦争について知り、しょうげきを受けたし、とても悲しくなりました。日本も多くのひ害を受けています。戦争のせいで苦しんだ人、お亡くなりになった人が何万人もいました。ばくだんのせいで燃え上がった町にいて焼け死んでしまった人、食べ物・飲み物がなくて死んでしまった人。私はそんな時代の風景を思いうかべ、今自分はこの平和な時代に生まれたこと、この時代を生きていることに感謝しなければと思いました。けがをしたらすぐに治すことができ、食べ物も飲み物も十分にあることは、戦争が起きていた頃にはあたり前のことではなかったのです。
 1941年から1945年にかけて起こった太平洋戦争では、私の祖父のお父さんも参戦したそうです。祖父によると、グァム島でアメリカ軍のほりょとなり、それからしばらく日本に帰国することができなかったそうです。家族には戦死したと報告され、そう式まで行ったそうですが、後日戦争が終わり船で日本に帰って来られたとききました。そう祖父の場合は無事でしたが、亡くなった方も数多くいる、そんなことが多く起きていた、そんな戦争だったのだと思います。
 私は、戦争のない平和な時代に向けて、戦争の事をもっとよく知り、それを多くの人に伝えていくことの大切さを感じました。戦争で苦しんだ人々がいたこと、二度とくり返してはいけないこと、世界中の人々にまで伝えていくことは今の私には難しいかもしれないけれど、身近な人から伝えていくことで、だんだん広めていきたいです。また、今当たり前に食べられること、学べることに感謝して生きていきたいです。


 

命の大切さ

 6年 大山 瑠那

 高部小学校には、石原れいじさん、大久保けんじさんという先ぱいがいます。彼らは、小学1、2年生の時に、カマキリヂイサン、メダカさんという詩を書き、その詩は国定教科書に採用されていました。しかし、そんな優秀な二人が戦争に行かなければならなくなったのです。れいじさんは昭和15年、けんじさんは昭和17年、20代の若さで戦争で亡くなってしまいました。私は、多くの人が戦争で命をおとしたこと、そして2人が亡くなってしまったことを、とても心苦しく思います。
 1941年~1945年、東南アジアで太平洋戦争が起こりました。世界中で多くの人が犠牲になったり、または被害にあったりしたと言われています。日本でも原子爆弾が落とされ、広島、長崎で多くの方が被害にあい、今でもまだ苦しんでいる人がいます。その中には、戦争をしたいとは思っていなかった人たちも多くいたのではないのでしょうか。戦争に行き、自分たちの国を守るために戦って命を落とした人、大切な人をなくして辛い思いをしていた人、考えただけでとても悲しくなります。
 今私は、平和な生活をしています。過去に起きた戦争を感じることなく、考えることすらありませんでした。しかし今回カマリキプロジェクトで学んだことで、昔、戦争で亡くなってしまった人のためにも、簡単に命を捨てずに一生けん命生きていきたいと考えるようになりました。また、食事も昔は自分が食べたい時に食べたい分だけ食べられていなかったことを思い、たとえお米一つぶでも、残さず感謝して食べていきたいです。今生きていることがどんなに幸せなのかを考え、学べるということに喜びを感じ、もっともっと色々なことを学んでいきたいです。


 

長田西中学校

 長田西中学校では、「なぜこんなにも悲惨な戦争が起きてしまったのだろう」という課題を各クラスの授業で追究し、戦争の悲惨さやそこで暮らす人々のつらさ・力強さなどについて学んできました。
 そうした戦争の単元を学習し、生徒一人一人が『戦争と平和』について自分の考えをまとめました。課題を追究する中で、戦争というものと向き合い、多様な意見が生まれました。ここに紹介するのは、その一部です。
 15歳の彼らが考える『戦争と平和』は、私たちに様々なことを考えさせてくれます。これらの歴史学習は、「公民」の授業へとつながり、日本・世界の一人として「私たちはどう生きるか」について、今後、生徒とともに追究していきます。(長田西中学校 社会科部)

戦争を学んで

長田西中学校 発表 松本さん

 3年 松本翔空

 僕は、社会科の授業を通し、第一次世界大戦や第二次世界大戦、太平洋戦争など、世界で起きた戦争の悲惨さについて学んできました。しかし、授業の中でどんなにいろいろなことを学んでも、それは、どこか人事のように感じていました。
 そんな中、僕の住んでいる地域のすぐそばで行われている安倍川花火大会が、空襲での死者の慰霊や地域の復興のために始まったことを知りました。静岡の市街地が焼夷弾による空襲を受け、二千人以上もの人々が犠牲になりました。毎年楽しみにしていた花火大会がこのような目的で行われていたことを知って、僕はとても驚き、戦争というのもがとても身近に感じられました。今年は、安倍川花火大会は中止になり、花火を見ることができませんでしたが、次に花火を見る時は、今までとはまるで違った感情で見ることになると思います。

 そして僕は、学習を進めていく中で、「静岡空襲で亡くなられた方を含めた、戦争で失われた尊い命のために、今の僕たちにできることはなんだろうか」と考えるようになりました。
 僕は、「平和な社会を維持していくこと」が大切であると考えています。太平洋戦争で敗戦した僕たちの住む日本は、戦争をしないことを決め、今日に至っています。国民すべてを巻きこんだ悲惨な戦争体験の反省から、日本は平和への道を進むことを決めました。そんな日本で、亡くなられた方々のために僕たちにできることは、今の平和な日本をこれからもずっと守っていくことではないでしょうか。

 それでは、どうしたら僕たちの手で平和を守っていけるのでしょうか。
 僕は、国民一人一人が政治に関心を持つことが大切であると思います。もし国や政府が間違った方向に進もうとしているとき、はっきりと国民の意思を示し、止めなくてはなりません。そのためには、正しい方向に導いてくれるリーダーを選ばなくてはいけません。つい先日参議員選挙がありましたが、投票率が低かったことがニュースで話題になっていました。国の方向性を決めるリーダーたちを選ぶ大事な選挙に、関心をもたない大人が多いというのは、中学生である僕の目から見てもおかしなことのように感じます。僕は、自分の目と耳できちんと判断し、政治に、日本の未来に、関心を持てる大人になりたいと思います。

 また正しい知識を身につけることも大切であると思います。現実は、様々な情報があふれています。それらの情報が正しいかどうかを判断すること、一つの物事をいろいろな見方で見ることも必要です。そして様々な人々の意見をきちんと聞き入れ、自分なりの考えを伝えることも必要です。
 日本の未来を担う僕たちが、正しい知識や判断力を持った大人になり、政治に関心を持ち、社会に参加すること。それがこの平和な国に生まれ育ってきた、僕たちに課された使命なのではないでしょうか。僕たちが戦争を体験された多くの方々がつくってくれた平和な日本を引き継ぎ、自分たちよりも若い世代へと伝えていきたいと思います。
 この平和な社会を守っていく決意を、戦没者の皆様に誓い、僕の平和へのメッセージとさせていただきます。

戦争を学んで (学習後のレポートより)

3年 望月 杏珠
 人が死んでいることが当たり前になっている世界はどんなに恐ろしいだろう。今回この学習を通して人が死んでいるところを見て、本当にこわかった。そして当時の人がいつものことのように死体をものとしてあつかい、みていることが恐ろしかった。でも、そうすることしかできないくらいに戦争というものはすごかったのだと実感させられた。
 私は多くの被害をあたえた戦争が近い間に2度も起きているということが1番こわかった。大変な思いをたくさんの人がしたはずなのにどうして何度も戦争は起こってしまうのだろうか。もしかしたら、争いが起きてしまうのはしかたのないことなのかもしれない。いろいろな考え方をもった人がいるのだから、仲良くなれない人もいると思うし、衝突も起きてしまうと思う。でも、そこで思いやる心をもち、互いの気持ちを尊重することができれば、
そして、一人一人がその心をもつことができれば、考え方の差がうまっていくのではないだろうか。それが争いが減ることにつながるのではないだろうか。小さな争いが減れば、大きな争いもなくなってくる。そして、私たちはそのことを、多くの被害がうまれたからこそ、戦争から学ぶことができるはずだ。またこの悲劇をくりかえさないために、その気持ちをもつために、戦争という出来事をうけついでいくべきだと思う。それが、今の平和な世の中で生きる私たちに必要なのではないだろうか。


3年 海野 遼
 この戦争という物は僕が思っているよりも悲惨な物だった。世界中の何百万という命がたった数年で、国の野望にふりまわされて、失われた。日本でも「自国のため」と笑顔を無理矢理家族に見せ戦場へ向かう若者が何万といた。そんなことを考えると今でも胸が痛くなる。ではこの戦争で学ぶべきものはなんだろう。僕は「生かされている」ということだと思う。僕たちはどんな状況でも確実に生きている。でもそれは「あたりまえ」ではなく戦争で亡くなった多くの犠牲のおかげで、『生かされてる』。このことをもう一度自覚するべきだと思う。何のためか、自分が存在しなければならないのか、自分の価値は何なのか、もう一度問いただすべきだ。今の日本人は自分の生き方への関心が少ない。昔の人々はどんな考えでも武士道をもっていた。平和な世の中になるにつれてそれを失っていく人が多すぎる。ただボーっと生きて、ボーっと死んでいくのも、今の世の中では簡単だ。でもそれは間違っている。私達は生かしてもらってる立場。希望ある若者が自ら志願して命を絶ち作ってくれた平和なのにそんなことしたら失礼だ。まとめると僕たちは戦争から『生かされてる』ということを学び自分の生き方についてもっと考えることが必要だ。

3年 岩﨑 愛
 私が今くらしている世界が、第二次世界大戦がおわってからたった70年しかたっていないことにおどろく。私達の住む日本にはたくさんの外国人の人が助け合って住んでいる。それは様々な考え方、宗教、はだの色の人がいる。今、様々な人が同じ地域、場所で戦わず共存できているのは、各々がゆずりあい、妥協しあい、自分の利益を優先するのではなく、大切な人のために、生きているからだと思う。この中のどれかがくずれれば、また自分達の
利益を求めて大きな被害や悲しみに、目を向けず大きな争いがおきると思う。また、戦争がおわってから今、こんなに不自由なしに生活できているのは、とてもすごいと思う。私は、戦争の時にどれだけの人が傷ついたのか、今がとても快適で、想像することができなかった。戦争がなければ、今の日本もないのだから、私達は戦争のことを忘れず、伝えていかなければいけないなと思った。そして平和な世界を創るためには、それぞれが、一歩ゆずりあい、協力しながら生きていかなければならないと思う。

3年 市川晴大
 僕は、これまで、社会の授業の時間を通して、世界で起こった戦争について学んできた。それぞれの国の立場によって、その影響の違いはあるものの、どの国の人々に対しても、戦争は不幸をもたらしているようだった。これまでの歴史の授業で、僕は、それぞれの戦争の起こりについてもくわしく勉強をした。これは、とてもあたりまえのことであるが、好んで戦争をする国などなかった。ドイツにしても日本にしても、それぞれ自国のために戦争をしていたのだと僕は思う。戦争をせざるを得なかった、その時代の人々は、本当にかわいそうだったと思う。しかし、そこから、「戦争をしてしまうのはしょうがないことだ。」と思ってしまうのは、また少し違うのではなかろうかということが、僕の、今回の学習での気づきでもある。戦争は、僕達からは遠いところだけでなく、身近な静岡の街にも、そのつめあとを残していた。戦争は、本当に起こってはいけないものだということを、今回の社会の授業で改めて感じることができた。世界の平和を望むばかりである。

3年 望月菜未
 他国を占領したり、自国の強さを表したりするために、戦争を起こして、多くの人の命が失われてしまうのはとても悲しいことだと思いました。広島と長崎に原子爆弾が投下されたときには一度に約35万人の人々が亡くなってしまいました。これは今ではとても信じられないことだし、もう二度と同じようなことがあってはならないと思います。私にとって、平和な世界とは、国民全員が平等に豊かに暮らせることだと思います。そのためには、国民どうし他国どうしで互いに助け合うことが必要だと思います。このような平和な世界を創るためには、現在のように戦争のことについてよく学んだり、ビデオを見たりして戦争の恐ろしさや戦後の苦しさを知ることが大切だと思います。戦争の恐ろしさを知ることで戦争を起こしてはいけないという気持ちになり、私たちが大人になったときに、戦争を起こさないようにすることができると思います。だから、戦争のことについて学ぶことは、辛いけれどとても重要なことだと思うので、これからも戦争のことについての授業を受け国民全員が戦争の恐ろしさを知るべきだと思います。そして、世界が争うのではなく互いに強くなって助け合い平和な世界になるといいなと思います。

3年 杉山湧音
 僕は戦争の学習から、戦争の恐ろしさを学ぶべきだと思う。僕たちは、実際に戦争を見たわけではないので、学習をしなければ戦争というものを知らずに生きていた。それでも戦争の学習をするのは、もう二度と戦争をおこさせないためだと思う。戦争は国同士が自分たちの支配を広げるためにおきてしまったもので、人間の欲望がぶつかりあって、それが人を苦しめることになった。しかし、人を苦しめても、戦争に勝てばもっと他のものをとりたくなるし、戦争に敗れても、国の力をとりもどすためにまた戦争をする。それがくり返されて、国が自分たちの愚かさに気づくまでおわらないのが戦争の恐ろしさだと思う。そして、この恐ろしさを学び、二度とくり返されないために戦争の学習がおこなわれていると思う。平和な世界を創っていくために、僕たちには戦争の恐ろしさを後世に伝えていくことが必要だと思う。学校の授業や戦争の時代を生きていた方の話、テレビのニュースなどで、僕たちは戦争の恐ろしさを学び、二度と起きてほしくないものだと感じた。この思いを決して忘れず、そして自分より年が低い人達にも同じ感情を抱いてくことで、平和な世界が創られていくと思う。

3年 髙橋芽依
 私たち若者は、戦争のことを教科書や、本などから学ぶことしかできません。空を飛ぶ、爆弾を積んだ飛行機も、人を殺すための機械も見たことはありません。本当の戦争のおそろしさも、哀しさも、苦しさも感じることはできません。私たちは戦争をただ、知ることしかできません。そして、こと忘れてはならない歴史をこれからの未来に生かすことしかできません。
 まず、世界の平和のために戦争は必要だったのでしょうか、だれも世界を不幸にしたくて、戦争をしたわけではないと思います。
 それでも戦争がおきてしまったのは、人間が自分勝手な生き物だからだと思います。「植民地がほしい」「お金がほしい」「世界の中心になりたい」。
自分の国が裕福であればそれでいいという考えはおかしいです。
 それはたった一部の平和にすぎません。
 私たちはこれから、世界を平和にするために、平等な社会を作っていくべきだと思います。戦争がなく、平和だと思われている今、植民地のなごりとして貧しい生活をおくる国々がいるのは、まだ平和だと言えません。平等につとめて活動を行っているグループはたくさんあります。私たちに今からできることはあると思います。国単位ではなく、自分自身の身近なところでも、自分勝手に物事をきめるのではなく、他から見たらどうか、まわりのことを考えた心づかいや思いやりが、意見の衝突や、問題の発生をふせぐ、第一歩につながっていくと思います。

3年 藁科 大輝
 僕は、戦争全てのことを忘れず、恐ろしさというものを心の中にとどめておきたいなと思いました。第一次世界大戦のときのように、戦争の恐ろしさを忘れてしまったら、また戦争が起こってしまい、住みなれたこの町がまた焼け野原になってしまうので、「戦争の恐ろしさ」というのをまず一番に学ぶべきだと思います。将来、僕たちが大人になって、もしもリーダーが戦争をやるぞと言ったらすぐに反対できるような大人になりたいです。そして、そのために、国民一人一人が自由に発言できるこの環境を継続できるよう、政治家ではなく、僕たちがやっていきたいです。僕は、将来、そのような自分の意見が言えるような力が必要だと感じました。たとえ、自分が言いたいことがあったとしても、それが実際に発言できなくては意味がありません。だから、今のうちに授業の発表や、日常生活で発言力というものをきたえておきたいなと思いました。

3年 田原 美那
 これまでの戦争の学習から、私たちは平和な世界を創るために戦争のつらさや悲しさを後世に伝え、同じ歴史をくり返さないようにすることが必要だと考えた。戦争によって、関係のない人々の命がたくさん奪われた。しかし、戦争があったからこそ、私たちは学校に通い勉強を学ぶことができ、不自由ない生活がおくれている。
戦争は絶対に忘れてはいけないことだ。
大切なのは武力によって世界を変えることではなく言葉で世界を変えることが大切だと思う。第二次世界大戦では日本の広島と長崎に原子爆弾が投下された。戦争をおわらせるために、開発された原子爆弾が、人だけでなく建物、まちまでも破壊してしまった。一人一人が戦争の歴史と重さを知ることが、平和な世界への道のりだと思う。

3年 末吉 夢叶
 私は、この第二次世界大戦の太平洋戦争から、日本はもちろん世界にも“戦争”というものはあってはならないものだと思った。戦争というのは、最初は一人の自分勝手な行動から始まることが多い。『植民地が欲しい』や『他の国より強くなりたい』などだれかの言動・行動で世界が動かされる。そんな自分勝手な行動で何万人、何十万人、何百万人が亡くなってしまうことはあってはいけないことでおかしいことだ。だから、世界、国のえらい人はもちろん、一般人であっても『○○したい、○○が欲しい。だから、戦争しよう。』なんて軽い気持ちで言ってしまってはいけない。だれか一人の自分勝手な行動・言動で世界は変わってしまうから、一人一人しっかり考えて、世界を“平和”に動かしていくことが大切だと思う。これからも、この“平和”な世界を創っていくためには、一人一人の言動・行動に注意深く考えながら生きていくことと、“戦争”というものの記おくを世界からなくさないように語りついでいくことで、戦争のこわさ、おそろしさが分かり、軽い気持ちで戦争を考えなくなり、戦争という言葉を「またやろう」という気持ちで発言しなくなり、世界は平和になっていくと思う。

3年 山本 羽華
 国と国同士で戦争を起こして平和を創ろうとしていたが、私は戦争では平和を創ることは出来ないと思う。戦争をして苦しんだ人がたくさんいる。勝っても喜べない人がたくさんいる。そんな国に平和など生まれない。この時代に生きていた人々はすごいと感動した。爆弾で死んでしまった家族がいても、食料や水がなくても必死に探して少しでも長く生きようとしていた。私たちはそんな戦争中を生き抜いた人々を見ならわないといけないと思った。昔の人たちが必死に生きようとする姿勢、私たちが部活の大会や体育祭、合唱発表会で必死にがんばる姿勢、同じだと思う。でも時々、諦めてしまうことが私にはある。その時はビデオで見た戦争中の風景を思い出し、諦めないようにしたい。戦争の学習から、諦めず必死にがんばること災害にあった人たちのことを忘れないこと、二度と戦争を起こさない国にするということを学ぶべきで、必要なことだと思う。

3年 城塚 和香奈
 私は、戦争というものを軽くみていた気がします。私達は、これまで第1次世界大戦や、第2次世界大戦、太平洋戦争などたくさんの戦争について学習してきましたが、死者〇〇万人とかと言われても、どれぐらいの人なのか実際よくわからず、数字としてでしか理解していなくて、戦争中に生まれなくて良かったというぐらいにしか思っていませんでした。しかし、授業で当時のビデオを見ていくうちに、戦争がどれだけ大変で、つらいものだったのかわかってきました。仕事をしたくてもできない人や、食べ物がなくて飢えて倒れている人などの姿がたくさんビデオに残っていました。私たちがいやいややっている勉強や仕事も、当時の一部の人達にとっては、やりたくてもできなかったんだなと思います。だから、今までの戦争のぎせい者のためにも、私たちは毎日を大切にして生きるべきだと思いました。

本ページに関するアンケート

このページは使いやすかったですか?

本ページに関するお問い合わせ先

市民局 市民自治推進課 自治活動支援係

所在地:静岡庁舎新館15階

電話:054-221-1265

ファクス:054-221-1538

お問い合わせフォーム