国連軍縮会議:小学生・中学生と軍縮 印刷用ページ

最終更新日:
2015年3月26日

「小学生・中学生と軍縮」のページを公開しました:更新 2013.1.23

中学生による、平和を願う折鶴モニュメントの作成

 静岡市立の中学校43校の生徒たちが、折り紙を使って一人一羽ずつ折った鶴をつなげて、 折鶴のモニュメントを作成しています。
 


折り紙・折鶴について
 折り紙(おりがみ)とは、色紙で動物などを折る子供の遊びで、その作品のことも指します。近年は、折り紙の芸術的側面が再評価され、昔にはなかった複雑で優れた作品が生み出され、各国に伝承する折り方に加えて、新しい折り方も考案され続けています。また、折り紙の持つ幾何学的な性質から、数学の一分野としても研究されています。
 折鶴(おりづる)は、正方形の紙を折って鶴の形に作るもので、最もポピュラーな作品のひとつであり、折り方も簡単なため多くの世代に知られています。中でも、折鶴をつなげて作る千羽鶴は、日本では平和の象徴や病気快癒・長寿のシンボルとして知られています。
 

 

 

【参考文献】
『東京おりがみミュージアム』ウェブサイト(日本折紙協会)
『日本図学会』ウェブサイト
三谷 純『図学と折り紙(1)』図学研究 第46巻2号(通巻136号),2012年
⇒文献のPDF File、⇒日本図学会ウェブサイト特集部分
新村出編『広辞苑』(岩波書店)

 


千羽鶴が平和のシンボルとなった由来
 千羽鶴が平和の象徴となったのは、広島市で原爆の被害にあった少女:佐々木禎子さんのエピソードが深く関わっています。佐々木さんは、広島市への原子爆弾投下により2歳のときに被爆しましたが外傷もなく、その後元気に成長しました。しかし、9年後の小学校6年生の秋(1954(昭和29)年)に突然、病のきざしが現れ、翌年2月に白血病と診断されました。入院中、回復を願って包み紙などで鶴を折り続けましたが、8か月の闘病生活の後、1955(昭和30)年10月25日に12年という短い生涯を終えました。
 禎子さんの死をきっかけに、原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰め平和を築くための像をつくろうという運動が始まり、全国からの募金で平和記念公園内に「原爆の子の像」が完成しました。その後この話は世界に広がり、今も「原爆の子の像」には日本国内をはじめ世界各国から折り鶴が捧げられ、その数は年間約1千万羽、重さにして約10トンにものぼります。
 

 

 

【参考文献】
『佐々木禎子の生い立ち』…広島市立幟町(のぼりちょう)小学校ウェブサイト内
『広島平和記念資料館』ウェブサイト
『広島市』ウェブサイト

 


モニュメントの展示について
 静岡市内の中学校では「第24回国連軍縮会議in静岡」の開催に合わせ、生徒全員で平和の祈りを込めて、千羽鶴を用いたモニュメントを作成しました。このモニュメントは、1月27日(日)から2月1日(金)まで、日本平ホテル2階のエスカレーター前に展示される予定です。
 

 

折鶴をつなげる作業を、大里中学校で行いました

 2012(平成24)年12月26日(水)に、各中学校で折られた折鶴をつなげる作業を、 静岡市立大里(おおざと)中学校2階ホールにおいて行われました。


 大里中学校を含む、静岡市内の12中学校(籠上(かごうえ)中、城内(じょうない)中、安東(あんどう)中、中島(なかじま)中、豊田(とよだ)中、長田西(おさだにし)中、長田南(おさだみなみ)中、清水第二中、清水第三中、清水第七中、清水第八中)の生徒会や有志のボランティアが参加しました。


 12月26日までに終わらなかった作業は、引き続き大里中学校の生徒が、仕上げまで作業を行っています。

 各学校の生徒会役員が主になって活動をしていたため、各校の生徒会活動に関する情報交換も併せて行われていました。

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