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更新日:2024年2月15日
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「静岡の由来」碑について
『静岡の由来
明治二年(1869)廃藩置県を前にして駿府または府中といわれていた地名の改称が藩庁で協議された 重臣の間では賤機山にちなみ賤ヶ丘といったんは決まったが藩学校頭取の向山(むこうやま)黄村(こうそん)先生は時世を思い土地柄を考えて静ヶ丘即ち「静岡」がよいと提案され衆議たちまち一決同年六月二十日「駿州府中静岡と唱え替えせしめられ候」と町触れが達せられた 以来百有余年富士を仰ぐふるさと静岡の名は内外に親しまれ県都として今日の発展を見るに至った
ここに市制施行九十周年を迎え黄村先生の遺徳を敬仰しゆかりの地藩庁跡に市名の由来をしるす
昭和五十四年四月一日 静岡市』
という碑が静岡市役所本館前に設置されています。
この由来碑は昭和54年に設置されたものですが、昭和60年以降の静岡県史編纂事業による調査において、静岡の名称についての新資料(国立公文書館所蔵 公文録)が確認されました。その資料は、『府中藩が明治政府に3つの名称案「静岡」、「静(しず)」、「静城(しずき)」を上申し、明治政府が「静岡」を採用』したことがわかる資料でした。この候補の考案に、向山黄村が深く関わったと考えられています。平成28年5月 文化財課