印刷
ページID:10758
更新日:2024年2月15日
ここから本文です。
駿府九十六ヶ町の町名碑を巡る
徳川家康が整備したといわれる、駿府九十六ヶ町。その町名の由来を記した町名碑を巡るモデルコースです。当時の暮らしや街並みを想像しながら、さんぽしてはどうでしょうか?
「駿府九十六ヶ町」とは
今川時代に礎がつくられ、徳川時代に整備された町並みをさします。旧東海道沿いに広がる九十六ヶ町は、多くの人が集まる中心地でした。文化財課では平成5年から、失われつつある町名を顕彰し、地域の歴史に関心を持ってもらうために町名碑の設置をすすめています。
1.下横田町
横田町12-13 地蔵堂前
2.猿屋町
猿屋町8-16 グリーン&デリカそね前
3.鋳物師町
伝馬町22-8 伝馬町遊歩道
江戸時代東からきた旅人の玄関口です。
府中宿の碑
4.華陽院門前町
伝馬町21-7 伝馬町通り
5.上下伝馬町
伝馬町6-1 109前
6.新谷町
御幸町3-21 ペガサート前
西郷・山岡会見の地
慶応4年、西郷隆盛と山岡鉄舟が会見を行った場所と言われています。
7.江川町
御幸町4-6 電ビル前
8.札之辻町
呉服町1丁目7 静岡伊勢丹前
9.呉服町
呉服町1丁目 静岡銀行前
駿府城二ノ丸南西に立つ櫓です、安政元年(1854)の安政東海地震で倒壊しましたが、平成23年から25年にかけて、駿府城公園再整備の一環で復元・公開をしています。駿府城発掘調査で発見された瓦の実物や、復元工事の様子、「今昔スコープ 駿府時空鏡」などがあります。
入場料:大人100円、小人50円
今昔スコープ体験料:500円
10.馬場町
馬場町33 浅間通り
11.宮ヶ崎町
宮ヶ崎町74 そば河内庵前
12.御器屋町
西草深町23-4 鮨富久前
山田長政像
アユタヤ(タイ)で活躍し、静岡市出身と言われている山田長政の像があります。
宮ヶ崎町の生まれだと言われており、長政が奉納したと言われる「戦艦図絵馬」の模写絵が静岡市文化財資料館に所蔵されています。
文化財資料館
13.柚木町
柚木町2 ゆずのきクリニック前
14.土太夫町
土太夫町20 うなぎ大天文前
15.上桶屋町
上桶屋町7 茶町美容室前
16.茶町
茶町1丁目 自転車保管施設前
17.上魚町
金座町1 コーポ森久前
18.研屋町
研屋町27 静清信用金庫 研屋町支店前
19.西寺町大鋸町
大鋸町3 玄忠寺門前
20.新通二丁目
新通1丁目4-22 ウエディングスクエア前
21.寺町
常磐町3丁目 常盤公園入口植え込み
善然寺
22.常慶町
常磐町2丁目8-11 教覚寺前
23.藤右衛門町
七間町122 淨円寺前歩道
24.下石町
常磐町1丁目 青葉シンボルロード内
25.両替町
両替町2丁目 青葉シンボルロード内
26.平屋町
常磐町1丁目2-7 玄南通り
27.江尻町
常磐町1丁目7-5 玄南通り
28.下魚町
常磐町2丁目13-2 宝台院前
29.紺屋町
紺屋町11-21 浮月楼前
江戸幕府2代将軍徳川秀忠の生母、西郷局(さいごうのつぼね)の菩提寺です。天正14年(1586)家康が駿府に拠点を移したことに伴い、西郷局もこの地に移り住み、天正17年(1589)この地で息を引き取りました。その後、宝台院は秀忠生母の菩提寺として江戸時代を通じて徳川家から厚い庇護を受け、また明治維新後は徳川慶喜の謹慎場所にもなりました。
江戸時代、駿府代官役所が設置されていた場所です。明治2年(1869)、謹慎が明けた徳川慶喜はこの場所に移り住み、明治21(1888)年までの約20年間をこの場所を拠点に過ごしました。慶喜が転居した後、屋敷は民間に払い下げられ、料亭として営業するようになりました。
静岡市美術館
壮年期の家康の姿を模した銅像です。家康は三河・遠江・駿河・伊豆・信濃・甲斐を領地とした「五ヶ国領国時代」といわれる時期のうち、天正14年から天正18年までの4年間(45歳から49歳まで)を駿府で過ごしました。この時期、家康によるものとしては最初の駿府城普請(工事)が行われました。現在の二ノ丸部分までの範囲が、この時期に「城」として整えられたと考えられています。