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更新日:2025年8月18日
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平和へのメッセージ(令和7年度)
令和7年度 戦没者を追悼し平和を祈念する式典で発表された、静岡市立服織西小学校、蒲原西小学校、豊田中学校のみなさんの平和へのメッセージを紹介します。
服織西小学校
服織西小学校の6年生は、静岡空襲について語り部さんの話を聞き、資料や映像で調べながら 平和とは何か 自分はどう生きたいかを見つめ直しました。そしてグループで周りの人に届けたい提案を文章にまとめました。どのグループも共通していたのは 語り継ぐこと・伝えることの大切さです。戦後80年という節目の今、今回学んだことから生まれた願いをメッセージに込めました。式典では、代表者10人が発表しました。
6年 井澤 太心さん
今の日本は昔の日本と比べて平和です。だからこそ昔の日本のことを忘れてはいけないと思います。昔の日本では沢山の人が戦争で命を落としました。今、ぼく達がいるこの場所も当時は空襲で焼け野原になりました。そんな怖さをぼくは世の中の人達に知らせることが大切だと思います。
6年 大草 璃紗さん
今の日本が平和であることをわすれてはいけないと思います。過去の日本は戦争で命を落とす人がたくさんいたそうです。平和主義という憲法ができ、戦争をしなくなりました。これからも戦争をしないようにしたいです。
6年 梶山 楓人さん
過去の日本は、他の国を攻めたり攻められたりしていました。そのときごはんをいっぱい食べられない、命を失ったり、家が炭となっていたりすることがありました。日本は戦争放棄と戦力不保持という憲法を作ったので、戦争はおきていません。だからこの憲法を守っていきたいです。
6年 繁田 実紅さん
今の日本は戦争をしていなくて平和です。でも昔は戦争をしていて沢山の人々や住んでいる場所などに大きな被害がありました。このようなことがもう一度起きないように戦争の怖さなどを知り、絶対に戦争を起こさないようにすることが大切だと思います。
6年 杉山 大治朗さん
今の日本では戦争は起きていません。ですが、昔日本では戦争が起きていました。そこでは沢山の人が死んでしまいました。そんな悲惨さをぼくは知ったので、これ以上他の国でも戦争を起こさないことが大切だと思います。
6年 泉水 英里奈さん
今の日本は平和です。昔は戦争で子供は学校ではなく兵器工場で労働をしていたり、ご飯も十分に食べられませんでした。私はこのような悲しい出来事を知って、この先、日本や他の国でも戦争が起こらないように今の平和さを知ることが大切だと思いました。
6年 戸井 絢菜
太平洋戦争のとき、静岡で大空襲があったことを初めて知りました。私達がいつも使っている道は戦争で荒れ地や焼け野原となり、息苦しい所だったことを知りました。このようなことが起きないように戦争を起こしてはいけない大切さを伝えたいです。
6年 冨田 渓心
僕達がいつも通っているこの道は、昔の静岡ではいつ空襲が来るかわからない、そんな恐怖の中歩いている状況でした。そしてこんな悲惨な出来事を絶対に忘れてはいけない、だからこそ今のぼくたちにできることは、この出来事を日本そして世界に伝えていくことだと思います。
6年 深澤 夏帆
私のおじいちゃんは、戦争が起きた時10歳で、戦争に行きませんでした。今も元気に生きています。おじいちゃんが生きているからお母さんが生まれてそして私が生まれました。戦争が起こると、たくさんの命がなくなってしまうのでみんなが命を大切にする世界にしたいです。
6年 福島 佳子
今、日本は戦争をしていません。しかし昔はしていました。今、当たり前のように食べているご飯も十分でなく、いつ空襲がくるかわからない恐怖もありました。だから私は戦争を絶対してはいけないということを伝えたいです。
6年 丸山桜太郎
ただ夏に花火を楽しむためだと思っていた安倍川花火大会が、静岡空襲で亡くなった人たちのために行われていることを初めて知りました。世界ではまだ戦争を行っている国があります。戦争を願ってもいない人たちが亡くなっていくのがかわいそうだと思いました。だから戦争をやめてほしいです。
6年 望月榎倫
私は戦争の話を聞いて私達が住んでいる静岡にも空襲がきたことを知りました。私はその空襲で沢山の人が亡くなってしまったのを知って他人事のように感じていた戦争のことをよく考えるようになりました。だから私は戦争は絶対にしてはいけないことを伝えていきたいです。
6年 山崎 結月
ぼくは、戦争をしてほしくないです。戦争をすると、沢山の人の命が、失われてしまいます。みんなには、家族や色々ないい人たちがいるから、戦争を絶対にしてほしくないです。
蒲原西小学校
蒲原西小学校の6年生は、「戦争の時代 蒲原でおきたこと」と題して蒲原母親クラブによる大型布絵本を鑑賞し、私たちが住む蒲原の戦争被害について知ることができました。また、戦争について「平和プロジェクト」を立ち上げ、戦争と平和について学びを深めました。式典では、代表者3人が発表しました。
6年 片瀬 結愛さん
「平和」とは、みんなが好きなことを自由にできることだと私は思います。自分も、周りのみんなも、好きなことを心から楽しむことができるのが「平和」です。
しかし、戦争が起きると、自分や家族、それから自分の大切な人を失って、悲しみでいっぱいになってしまいます。それは「平和」ではありません。
私は、社会の授業で、戦争時代に私たちが住む蒲原で実際に起きたことについて学びました。戦争があったころ、蒲原では、多くの人の命などがなくなってしまいました。
私がまだ生まれていないときのことなので、簡単に想像することはできません。でも、布絵本の読み聞かせを聞いて、日本で、そして蒲原で起きた戦争の悲惨さを知ることができました。
今、私たちが暮らす蒲原、そして日本には、戦争はありません。私や友達は何でも自由にできて、平和かもしれません。でも、世界の中には、戦争をしている国もあります。私や身近な人だけが自由で平和を感じていても、それは本当の平和とは言えません。世界中のみんなが平和でいられるように、これからは戦争を「しない」「させない」「作らせない」ことを意識して、世界の国々が協力してほしいです。
その第一歩として、私は大好きな清水エスパルスの優勝を願って、家族と一緒に全力で応援していきます。世界中の誰もが、好きなことを全力で楽しめる「平和」が実現することを、心から願っています。
6年 髙柳 盛悟さん
「平和」は、世界が理解し合えば実現できると思います。
皆さんは、「クリスマス休戦」を知っていますか。第一次世界大戦中の1914年、ドイツ兵とイギリス兵が自主的に休戦したそうです。戦争の最中であっても、「クリスマスを祝う」という同じ目的があったからこそ、国は違っても理解し合えたのだと思います。
国の違いを超えて、理解し合えた人は、日本人にもいます。「杉原千畝」です。リトアニア大使館で働いていた杉原千畝は、ナチス・ドイツから逃げてきたユダヤ人6000人を助けた人です。当時の日本政府は、ドイツの味方だったので、ユダヤ人へのビザは発行しないと命令していました。でも、杉原千畝は、「困っている人を助けるのは当たり前だ」と考えて、ユダヤ人にビザを発行しました。
このように、世界中の人々が、互いに理解し合って行動すれば、自然と「平和」は生まれてくるものだと思います。
だから、この「互いに理解し合うこと」を、僕は普段の生活から実践していきます。
まず、話し合うことを大切にしていきます。前にクラス遊びのやり方でもめたときに、みんなで話し合い、解決することができました。たとえ、違う意見をもった人同士でも、真剣に話し合えば、互いに理解し合うことはできるのだと学びました。
次に、知らない人と、どんどん友達になっていきたいです。僕は普段から、相手のことをよく知っていれば、争いごとは無くせると思っています。だから、人見知りしないで、友達や知り合いをたくさん作っていきます。十月に行く修学旅行では、僕たちは東京の人たちに蒲原のよいところをPRしてくる予定です。だから、僕は東京でも、どんどん声をかけて、知り合いを増やしてきます。今から、とても楽しみです。
そして、この二つのことは、「平和」な未来をつくっていくために、大人になっても続けていきたいと思っています。
6年 山崎稜英さん
僕は、学校の授業で、「戦争」について勉強し、初めて「平和」について考えました。
1945年8月。広島・長崎に、原子爆弾が投下され、たくさんの人が命を落としました。原爆の放射線により、生き残った人たちも、戦後に生まれてきた人たちも、たくさんの人が苦しんだそうです。現在は、国際的に原子爆弾の廃絶が言われていますが、終戦後八十年たった今でも、地球から核爆弾も戦争も無くなっていません。
核爆弾も無い、戦争も無い、平和な世界を作りたい。僕にできることは何だろう。
一つ目は、「自分が知り、伝えること」です。僕は今まで「戦争」について知ろうとすることはありませんでした。「平和」はいつも当たり前で、改めて考えることはありませんでした。当たり前だけど、当たり前ではない「平和」。たくさんの人に、戦争の無意味さを知ってもらい、一人でも多くの人に「平和」の大切さを考えてもらいたいと思って、僕は今、この作文を書いています。
二つ目は、「身近な人と協力すること」です。僕はこれからも、困っている人を見かけたら、積極的に助けます。世界で起きている戦争を無くす方法はいくらでもあると思います。しかし、そのすべてが、一人でできることではありません。世界中の国の協力が必要です。そのために、まずは僕たち一人一人が身近な人と協力することから始めていきたいです。未来を創る僕たちが「協力するのが当たり前の世界」を創るのです。先は長いかもしれませんが、自分でできることから「平和」につなげていきます。
この作文を読んでくれているみなさん。発表をきいてくれているみなさん。みなさんも、自分でできる普段の行動から、「平和」につなげていってください。
豊田中学校
静岡市立豊田中学校全校生徒は、静岡市平和資料センターのご協力により、太平洋戦争における静岡の空襲被害について学びました。空襲画や講話から、「これからを生きる私たちが、戦争の悲惨さを未来に伝え、平和を守っていかなくてはならない」という思いを強めました。その感想をメッセージにまとめました。式典では、代表者3人が発表しました。
2年 松宮 泰理さん
平和学習を聞いている中で、戦争は沢山の人の命を奪うものだということを学びました。
第二次世界大戦の世界の死者数は5,000万人以上と推定されています。
それより多くの人が自由を奪われてしまいました。
大切な人を亡くした人、一生消えない火傷の痕を負った人、住む場所が焼け野原になってしまった人。田中さんの話や絵から、人々の苦しみが伝わってきました。
また、戦争でなくなった人のことを忘れないことも大切だと学びました。
安倍川花火大会は戦争でなくなった人々の魂を鎮めるためのものだと聞きました。
戦争では、大切に思っている人々をなくしてしまった人がたくさんいました。
安倍川花火大会もそのような人が集まって始めたものです。
僕は、戦争は二度と起こしてはいけないということを忘れずに日常生活をおくっていきたいと思います。
2年 鈴木 愛美さん
1945年6月20日、静岡大空襲。2時間の15回の空襲で、10万5000発の焼夷弾が投下され、2万5000戸の家が焼け、2000人もの方々がなくなったそうです。私たちのよく知っているこの町の3分の2が焼け野原になり、数時間前まで家族と談笑していた人々がまっ黒焦げになってあふれていたという事実を知り、胸がしめつけられました。戦火の中逃げた人々は、どれほど苦しい思いをしたのでしょうか。
このような恐ろしい出来事は2度と起こしてはいけないと深く感じます。戦後80年の今年。私達は、この「戦後」という言葉が「戦前」とならないように、戦争の悲惨さを未来へ伝えていきたいです。そして、命をつないでくれた人々の思いを心に刻み、平和が永遠に続くことを願い続けていきたいです。
3年 小野原 美嬉さん
私は、この平和学習で今住んでいるこの静岡で約2,000人もが亡くなるような大空襲があったことを知り、今後戦争は絶対にあってはならないと改めて感じました。
今までも、社会の授業や国語の教材などで戦争について知る機会はありましたが、私たちが普段生活しているこの辺りが80年前は火の海だったということが衝撃でした。
私がこの平和学習で驚いたのは安倍川花火大会が戦争犠牲者の追悼と、静岡の復興を願ってできたということです。静岡大空襲の時に人々が安倍川に逃げて、命を長らえようとしたということは知っていましたが、追悼や復興などを願ってできたということは知りませんでした。私のように、このことを知らない人は他にもいると思うし、時が過ぎていくにつれて知っている人は減っていくと思います。なので、この静岡大空襲のような戦争のことを私達が伝えていかなければならないと思いました。
また、今も世界では、ロシアによるウクライナ侵攻やイスラエル・パレスチナの戦争など、戦争が絶えません。戦争のない世界にするために、私達がこれからも生きていく「この世界の平和を守っていく」という責任を全うすることが大切だと思いました。