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更新日:2024年8月22日
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平和へのメッセージ(令和6年度)
令和6年度 戦没者を追悼し平和を祈念する式典で発表された、静岡市立賤機南小学校、大谷小学校、清水第六中学校のみなさんの平和へのメッセージを紹介します。
賤機南小学校
賤機南小学校の6年生は、静岡平和資料センターの方々から、私たちが住むこの地で起きた戦争被害を話していただき、戦争の恐ろしさを身近に感じ、二度と戦争を起こしてはいけないという気持ちになりました。また、社会科の学習で「日本国憲法」の柱の一つである「平和主義」を学び、今の平和な日本の社会を有難く思いました。今回、学んだことを平和へのメッセージとしてまとめました。式典では、代表者5人が発表しました。
6年 清水 真綾さん
今の静岡の風景や平和な街並みからは想像できませんが、約80年前の戦争では多くの人々が犠牲になり、静岡の街も大きな被害を受けました。いつも何気なく通る道や、眺めている町がかつて静岡空襲で火の海になったことが信じられません。朝起きて、学校に行って友達と話をして、家に帰って家族とテーブルを囲み楽しく食事をする。そんな当たり前の日常が戦時中はいつ空襲が来るかわからない中で浅い眠りをよぎなくされる日々でした。今、心地よく眠れることのありがたさを感じます。戦争で大切な人と二度と会えなくなった人たちがいたことを知り、大切な人と過ごせること、会えることがどれだけ幸せなことか考えるようになりました。これからの世界の平和を作っていくのは私たちです。私たち一人ひとりが日常生活の中でできること探し、平和について考えていきたいと思います。
6年 岩本 吏句さん
ぼくは、今まで、安倍川花火大会は、楽しいものだと思っていました。
でも戦争の話を聞いて、安倍川でとても悲しいことがあったと知り、おどろきました。映像で見た橋は、前にぼくがよく通っていた橋でした。そしてぼくは、さんぽでこの橋の下に行ったことがあります。その時はわかりませんでしたが、この橋の下で、多くの人が亡くなったと思うとこわくなりました。
ぼくは映画の「ホタルの墓」を見たことがあります。見ている時は、やっぱりテレビなのであんまり戦争が「こわい」というがいねんはありませんでした。そして戦争がぼくたちが住んでいる静岡で本当にあったということがまた戦争がこわく感じられます。
だから今年の花火大会は、ちゃんと見ようと思います。
楽しむだけではダメということです。亡くなった人のことを思う気持ちがあるからです。でも日本だって他の国の人の命をたくさんうばっているので悲しむのは、自分の国ばかりではないと思います。だから社会で習った通り平和主義が日本国憲法にできてよかったと思います。ぼくたちがこれから平和をずっと守っていくことを大切にしたいと思います。
6年 海野 夏希さん
今現在、日本は、平和な国です。
しかし、私たちの生活に目を向けると、友達同士でケンカをしたり、悪口を言い合ったりして、互いにイライラしたり、嫌な気分になったりすることがあります。
心静かに、みんなで仲良く生活することが、日本の国の平和へとつながっていくのではないでしょうか。クラスのみんなが仲良く生活していけるように、みんなで気を付けていきたいと思います。
6年 榎本 晄さん
今、この瞬間も世界のどこかで、戦争が起こっていて、どれだけの人が被害にあっているのだろうかと考えると、悲しいです。
同じ人間として、見過ごすことはできません。この世界が平和に包まれるように、祈り続けたいです。
6年 田端 歩さん
ひさんな戦争を二度と起こさないために、ぼくたちにできることは、日本を戦争に導くような政治家を選ばないということだと思います。
将来、参政権を得たら、日本を平和な国へと導ける人に投票できるよう、今から、しっかり勉強して、正しく判断できる力を付けたいと思います。
大谷小学校
⼤⾕⼩学校の6年⽣は、毎年楽しみにしている夏の風物詩「安倍川花⽕⼤会」を通して、静岡⼤空襲について学びました。⼦どもたちは、戦争を繰り返さないために⾃分たちに何ができるのか、「ツナグ」という⾔葉をもとに平和への願いをかけました。式典では、代表者2⼈が発表しました。
6年 渡邊 空奈さん
戦争は悲惨なことだ。
今から七十九年前、私たちの住んでいる静岡市も第二次世界大戦において、アメリカ軍による空襲を受けた。このことは「静岡大空襲」と言われており、死者は約二千名と言われている。
学校の授業でこのことを聞いた時、この地に空襲があってから、まだ七十九年しか年月が過ぎていないことが信じられなかった。私は、生まれてから今まで充実した日々を送っており、そんなことを考えたことがなかったからだ。戦争なんでどこか他人事だと思っていた。
私は平和とは何か考えてみることにした。辞書によると、「平和とは争いや戦争がないこと。差別をせず、違いを認め合うこと。悪口を言ったり、喧嘩をしたりせず、みんなが笑顔になれること」と、あった。
私は妹や家族とよく意見がぶつかり、言い合いをする。けれども、話し合いをして、解決をすることがほとんどだ。百パーセントみんながみんなスッキリするということは難しい。よりよい生活を目指す中で、意見のぶつかり合いがなければ、つまらない日常になってしまうだろう。しかし、意見がぶつかることはあっても、人を傷つけてしまうことは違う。
きっと、単純なことではないが、平和とは「人を傷つけないこと」「みんなが笑顔になること」であると、私は思う。そのように考えると、平和は実現できるのかもしれない。
駿府城公園の中にある「とこしえ」の像。この「とこしえ」の意味は、平和がいつまでも続きますようにという意味が込められている。「とこしえ」素敵な言葉だと思った。世界中のみんなが笑顔で暮らせますように。とこしえの笑顔、世界中に届け。
6年 長島 歌純さん
普段、私達は何気なく学校に行ったり遊んだりしている。そんな私達は「戦争」を経験したことがない。静岡大空襲を経験した人達が描いた絵を見ると、その時の苦しさが私にも伝わってきた。
戦争を経験したら、どんなに苦しかったのかを想像してみた。たくさんの飛行機、無数の火の玉、灰色の空。焼けた家、亡くなっていく命。生きていても、どんどん追い込まれていく。とても恐ろしいことだと思った。
当時の人達は、自分たちの命だけでなく、子どもたちの命や未来を守ろうと必死に頑張っていた。それでも多くの命や人々の未来や夢までが奪われていった。
そのような、苦しく、恐ろしい戦争を経験した人もだんだん少なくなってしまっている。私も、幼稚園に通っていたころ、静岡で起きた戦争の話を聞いた記憶がある。小さかったので、どのような話だったのか、記憶には残っていなかったが、今回の授業を通して、ひいおばあちゃんから、話を聞いたことを思い出した。そのひいおばあちゃんも、先日亡くなってしまった。そのように、戦争を経験した人たちがどんどんいなくなっていく。先の未来は、どのようになっていくのか。過去に起きた戦争が幻になってしまうかもしれない。
みんなが楽しく自分の夢を追えるような世界に近づくために、一人ひとりが平和を願う心を大切にしていきませんか。
清水第六中学校
清⽔第六中学校全校生徒は、静岡市平和資料センターのご協⼒により、今年6⽉に太平洋戦争における清⽔・静岡の空襲被害について貴重なお話を伺う機会をいただきました。お話を伺い、「私たちの世代が戦争の悲惨さを語り継がなくてはいけない。」という思いを強く感じました。感想をメッセージとしてまとめました。
式典では、代表者3人が発表しました。
3年 北澤 杏菜さん
今回の平和学習を通し絶対に戦争はあってはならないことだと感じました。社会の授業などでも戦争について触れる機会はありましたが、実際に静岡の地でも空襲が起きたことを知り、私は深い悲しみに打ちひしがれました。当時の資料からも分かるように、戦争の悲惨さやどれだけの人々を恐怖に陥れたのか痛いほど伝わりました。どれだけ年月が経っても一度経験した人の心には一生癒えない傷が残ります。戦争で犠牲になった人には大切な人がいて、家庭があったはずです。そんな日々が突如として奪われてしまったら…という風に私たちは常に考え続けなければなりません。戦火の中で必死に命のともしびを繋げてくれた人達を忘れることなく、今ある幸せが当たり前ではないこと、普通に生活ができることへの感謝を忘れないようにしたいです。過去の歴史から未来へ、積極的に学び、末永く平和が続くように願い続けていきたいと考えました。
3年 生子 日和さん
私は、先日の平和学習で戦争について学びました。主に静岡空襲について、実際に戦争を経験した方にお話をしていただきました。
今はのどかな町である静岡ですが、かつては火の海となり、たくさんの人々の命が散ってしまった場所だと知り、言葉が出ませんでした。
私の曾祖母も戦争を体験した人で、よく戦争の話をしてくれました。物忘れが酷くなる年齢になっても、戦争のことはいつでもはっきり覚えていました。忘れることができないほどに悲惨な出来事があり、それに苦しめられた人々のことを思うと、とても心が痛いです。
この悲惨な出来事を二度と繰り返さないために、「戦争は絶対にダメだ」という意識をもっともっと広げていかなければいけないと思います。戦争を経験した方々の話をしっかりと聞き、それをまた次の人に伝えるべきです。
そして、これ以上罪のない人々が傷つき、悲しむことがないように「平和の素晴らしさ」というものが世界中に伝わっていけばいいなと思います。
また、これから私はたくさんの人と関わる中で、差別や偏見をなくし、相手を理解することを意識していきたいです。
3年 堀 明日馬さん
僕は、今こんなに栄えている静岡が空襲にあったなんて最初に聞いた時はとても信じられませんでした。しかし、話や写真、絵を見ていくうちに本当にこの静岡で起きたことなんだと実感していきました。今まで心のどこかで「自分の街とは関係がない」と考えていたけれど、全くそんなことはなくてもっと責任感や危機感をもつべきだと考えるようになりました。
僕の曾祖父が第二次世界大戦中に相手の国に捕まったが何とか日本に帰って来ることができたという話を祖父から聞いたことがあります。第二次世界大戦というのも日本の長い歴史から見ればかなり最近の出来事なのです。だから「あれからずっと戦争をしてない」ととらえるのではなく、「あれからまだ少ししか時が経っていない」ととらえて、もっともっと何百年、何千年も先まで、自分の街の平和を、世界の平和を保つことが必要であり、その義務が一人一人にあることに気づきました。