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更新日:2026年8月20日
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平和へのメッセージ(令和8年度)
令和8年度 戦没者を追悼し平和を祈念する式典で発表された、静岡市立長田北小学校、清水岡小学校、籠上中学校のみなさんの平和へのメッセージを紹介します。
(平和へのメッセージは、各学校から提出された文章を変更せずそのまま引用しています。)

長田北小学校
長田北小学校の6年生は、静岡市平和資料センターのご協力により、太平洋戦争における静岡の空襲被害について学びました。
紙芝居による講話を通して、戦争の恐ろしさや平和の尊さを改めて感じ、今の自分たちには何ができるのかを考え、その思いをメッセージにまとめました。
式典では、代表者3名が発表しました。
6年 植田 澪さん
私は、平和学習を受けてから平和について考え直しました。
今まで、私は、日本はただ戦争を仕掛けられて負けたんだ、日本は戦争を仕掛けることなどしない国だと思っていました。
しかし、実際には話を聞くとそうではないことが分かりました。
日本は、爆発させたことを中国のせいにするなどして、他国に行ったことを押し付け、挑発するような行動をしていたことが分かりました。
このことから、日本は私のイメージとは違い、周りの国が嫌な思いをするような行動をしていたと知り驚きました。
しかし、今の日本があり私たちが生きているのは、日本が考え方を変えたからです。
そして、悲しい思いをした人たちが立ち上がり声をあげたからです。
日本のように考え方を変えれば、世界平和は訪れると思います。
一人でも多くの人達の考え方が変われば、少しずつ実現に近づいていきます。
本当の世界平和とは、みんなの笑顔があふれかえる世界だと私は考えます。
すべての人が考え方を変えれば、世界平和が訪れ、この世界は笑顔であふれると思います。
笑顔であふれる世界平和が一日も早く実現することを願います。
6年 稲原 亮介さん
平和学習をしたとき、僕が特に印象に残ったのは、平和資料センターの大石さんが読んでくださった「明日天気になあれ。」という紙芝居のお話です。
主人公の新井さんたちは、ある日突然、静岡空襲の被害にあいます。
ついさきほどまで遊んでいた二人の友達とも離れ離れになってしまい、ずっと会えないまま長い時間がたちました。
それでもあきらめずに二人を探し続け、最後に実は二人があの空襲で亡くなっていたことを知ります。
ぼくはこのお話を通して、戦争が起こると当たり前の生活や幸せが一瞬でなくなってしまうことに気が付きました。
今の日本は平和だと思うけれど、他の国では戦争が続いています。
世界中から戦争がなくなってほしいです。
ぼくはこれからも、戦争や平和について学び、考えていきます。
6年 長岡 希咲さん
戦争をしても、ものや命を失い苦しみ続けるだけで、良いことやうれしいことなどを得ることは絶対にないと私は思いました。
そして、今私ができることは「争わないこと」だと考えます。
家族、友達との喧嘩が起きると何も考えずに好き放題に言い合ってしまいがちです。
なので、一度落ち着いて冷静になることを今までよりもっと努力していきたいと思います。
今も、世界では戦争が起こっています。
一日でも早く戦争を終わらせ、二度と戦争をしない世界で平和に生きていきたいです。
清水岡小学校
清水岡小学校の6年生は、地域に在住している戦争を体験した方々に当時の悲惨な出来事をお話いただきました。
想像を絶する話から「平和」の大切さを実感することができました。
そして、恒久の平和への願いを強くもつことができました。
式典では、代表者3名が発表しました。
6年 千葉 雪菜さん
私にとっての「平和」とは、身の周りがほっとするような空間になることです。
私の経験では、クラスや学年の一部で小さな喧嘩をしていることがありました。喧嘩をしてしまうと嫌な気持ちになる人がほとんどだと思います。
それに、周りの空気も重くなってしまいます。
私は、「平和」のために、些細なことで喧嘩をしてしまうことから直していこうと思います。
喧嘩が無くなることで、お互いのストレスが減り、信頼関係がより深まると思います。
また、イライラする時間が減って、毎日笑顔で過ごせるようになり、自分の身近な平和が長く続くと考えました。
戦争を体験された方のお話を聞く会では、戦争のひさんさを知ることができました。特に、空襲などによって多くの友達を失ったと聞き、とてもおどろきました。
戦争がない今、私は不自由なく学校生活を送ることができています。
当時の方たちも戦争がなければ、友達と勉強したり、遊んだりして、私たちと同じように幸せに生活することができたと思います。
そこで私は、毎日会う友達に親切にしようと思います。
親切にすることで、親切にされた側も嬉しくなり、親切の輪がどんどん広がっていき、喧嘩が減ると思ったからです。
世界で起きている戦争を止めることは自分にはできないけれど、自分にできる身近で些細なことから行動していくことが大切だと思います。
6年 及川 圭剛さん
僕にとって平和とは、武力で物事を解決しないこと、安心して学校に行け、安心して家で暮らせることです。
そして誰でも平等な世界にしたいと思っています。
戦争は、たくさんの命を奪い、心にも傷跡を残します。
戦争が起こると、多くの命が奪われるだけではなく、人々の生活に必要な物資がなくなったり、食料の価格が高騰したりします。
そして多くの人が難民となり、子供の教育の機会が失われるので、社会が大打撃を受けます。
僕は、本でなぜ戦争をするのかなどを調べてみました。
民族の異なる人たちが、その違いから起こってしまう、ということが書いてありました。僕は、そんなことで戦争を起こしてしまうのか、と思いました。
戦争は二度とやってはいけないことだと考えます。
今も、ロシアやウクライナなど、外国では戦争をしています。
戦争をしていてもいいことは全然ないから絶対にやめてほしいなと思いました。
そして、ぼくたちは絶対に戦争をしないように考えながら、生きていきたいと思いました。
これからも人にやさしくしたり、人の立場を考えたりして生きていきます。
6年 濵岡 莉央さん
自分にとっての平和とは「夢を持てること」だと思います。
なぜかというと平和ではない戦時中などは、爆弾を落としに来る飛行機に怯え、空腹に苦しみ、とても夢を見ることなどできない環境だったと思うからです。
私は戦時中について祖父に聞いてみました。
祖父は東京都の中野区に昭和十六年九月に生まれました。
その後、昭和十八年に戦争が激しくなりそかいすることになったそうです。
そかい先は島根で、そこで終戦を迎えたそうです。
終戦のときは4歳で家の前に近所の人がござをひいて大勢集まり、ラジオを泣きながら聞いていたそうです。
また平和講座では、操縦している人の顔が見えるくらい低いところで焼夷弾を落としてきたということを聞きました。
学校の帰り道に小さい飛行機で子どもたちに向けて射撃してきたという話も聞きました。
この話を聞いた時私は信じられませんでした。
未来のある子供に銃を向けるなんて大人がやっていいことではありません。
学校では、一番うしろの席だったのに一番前の席になってしまうほどに生徒が減っていったということも聞きました。
学校での思い出もないまま死んでしまうのも、仲が良かった友達をなくしてしまうのも、わたしには、涙を流しても流しきれないほどに耐えられないことです。
他にも戦時中は食料がなくて困っていたそうです。
戦争末期の極限状態になると、国は野菜の皮や芯、さらにはイナゴやトンボなどの昆虫食を国民に推奨するようになったそうです。
イナゴやトンボなどを食べるほどに飢えているのはとても残酷だと思いました。
このように、戦争で苦しむ人を、もう二度と出したくないです。
このようなことをなくすために、身近な争いごとをなくしていくことをみんなに呼びかけたいです。
戦争で毎日誰かが死んで、未来を失い、夢を見ることすらできないなんて、考えたくもありません。
ですが、一つ一つ身近な争いごとでも、変えていかなければ何も変わりません。
わたしは、ずっと世界が平和であってほしいと思います。
籠上中学校
籠上中学校の3年生は、身近な人から戦争の体験談や語り継がれた経験を調べ、戦争の被害と当時の人々の暮らしへの影響について学びました。
身近な人の体験から、「戦争の悲惨さ」を学び、平和の尊さを実感するとともに、「過酷な状況を生き抜き、命を繋いでくれた先人たちへの尊敬と感謝の気持ち」を持ちました。
その感想をメッセージにまとめました。式典では、代表者3名が発表しました。
3年 岸 こはるさん
私は、戦争について調べる中で、あまりにも多くの『普通の毎日』が奪われた歴史を知りました。
食べるものや必要なものがなくなり、大好きな家族とも離ればなれになってしまう。
そんな想像もできないくらいつらい状況の中でも、当時の人たちは互いに支え合い、必死に生き抜いてこられました。
今、私たちが毎日学校へ行き、友だちと笑い合い、温かい家でおいしいごはんを食べられること。
この『当たり前の日常』は、戦争中には絶対に叶わなかったことです。
そして、今の不自由のない暮らしは、つらい時代を最後まで一生懸命に生き、命を繋いでくださった先人たちがいたからこそ、今ここにあるのだと強く感じています。
私たちが今生きている平和は、多くの犠牲と、生き抜いた方々の言葉にできないほどのご苦労の上にある、本当に大切な贈り物です。
だからこそ、私たちはこの歴史を決して忘れてはいけません。
本当につらい過去があったこと、そして今の平和が先人たちへの感謝の上にあることを、これからの世代へと伝えていくことが、今を生きる私たちの役割だと思います。
戦争を知らない世代が増えていくこれからも、一人ひとりが平和を願い、感謝の気持ちを忘れずに生きていくことを大切にしていきたいです。
3年 伊藤 怜那さん
私は、静岡大空襲によって、現在の葵区や駿河区の市街地が壊滅的な被害を受けたことを知りました。
B29爆撃機123機から137機が来襲し、約700から800トンもの焼夷弾が投下されるという、激しい攻撃だったことを知りました。
この学びが、曾祖母から当時の様子を初めて詳しく聞くきっかけとなりました。
曾祖母は、あの空襲で家族や家を失いました。
目の前で飛行機から銃撃された人、川や道端で亡くなっている人をその目で見てきたと言います。
日に日に増えていく空襲警報のなか、真っ暗闇を逃げ惑い、光のない防空壕の中で死の恐怖にじっと耐えていました。
常に死と隣り合わせの恐怖、そして終わりの見えない生活。
学校の授業だけでは決して分からない、想像を絶する経験をした人が、こんなに身近にいたことに私は大きな衝撃を受けました。
「二度とあんな恐ろしい思いはしたくない。あなたたちにも、絶対にこんな経験をしてほしくない」。
曾祖母が絞り出すように語ったその言葉は、私の心に深く突き刺さっています。
曾祖母の話を聞くまで、私はテレビなどで放送される戦争のニュースを、どこか他人事のように捉えていました。
今ではそのことを深く反省しています。
戦争は、住む場所も、家族も、食べ物も、当たり前だった生活のすべてを奪い去ります。
常に恐怖を突きつけ、一瞬にして多くの尊い命を奪ってしまう戦争を、二度と起こしてはなりません。
私たちが今、命があり、家族と暮らし、温かいごはんを美味しく食べられていること。
この日常は決して当たり前ではありません。
焦土から立ち上がり、今の平和な社会を築いてくださった昔の方々のおかげです。
その感謝を、私たちは絶対に忘れてはなりません。
そして、戦争の恐ろしさと、過酷な時代を生き抜いた方々の想いを、今度は私たちが次の世代へと語り継いでいくことを誓います。
3年 天野 柊也さん
戦争からは、何も得るものはありません。
私は祖父の話を聞いて、そう強く思いました。
1945年6月19日に起きた、静岡大空襲。当時わずか5歳だった祖父に、その時のことを聞きました。
まだ幼かったため、当時は何が起きているのか分からず、恐怖は感じなかったそうですが、自宅が跡形もなく焼けてしまうほど、本当に激しい空襲だったと言っていました。
祖父がその時の悲惨な光景をはっきりと覚えていなかったのは、せめてもの救いだったのかもしれません。
でも、罪のないたくさんの人たちが目の前で突然命を落としていった当時の街の様子は、想像するだけで胸が締め付けられるほど辛いです。
私はこれまでも、テレビのニュースなどで流れる世界の戦争の様子を見てショックを受け、悪夢を見てしまうほど、戦争に対して強い恐怖を感じていました。
遠い国の出来事だと思っていた戦争ですが、今回、身近な家族である祖父から、自分が今暮らしているこの静岡で起きた具体的な話を聞いたことで、戦争の恐ろしさが一気に現実のものとなり、平和への思いはさらに強くなりました。
やっぱり、戦争は誰も幸せにしないし、悲しみと苦しいことしか生み出しません。
過去の悲劇を風化させることなく、私たち若い世代の一人ひとりが『絶対に戦争を繰り返さない』という強い反戦の意思を持つことが、何よりも大切なのだと思います。