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更新日:2024年11月12日

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駿府城跡・駿府城跡天守台発掘調査

駿府城跡・駿府城跡天守台発掘調査

徳川家康は将軍職を秀忠に譲り、駿府に移り住みました。慶長12(1607)年、家康は、輪郭式で石垣を廻らせた3重の堀を持ち、本丸の北西には5重(または6重)7階といわれる勇壮な天守を配置した城を全国の大名に命じて(天下普請)築城させました。
家康在城時の駿府の町は、江戸と共にいわば二元政治が行われていたため、政治、経済の中心地として大いに繁栄していました。家康の死後、城主となった忠長が改易されると駿府城は城代の管理となります。寛永12(1635)年の火災により天守等のほとんどの建物が焼失し、櫓、門等の建物は再建されましたが天守は再建されませんでした。以後、江戸時代の駿府城は、建物の規模も次第に縮小していくこととなります。
明治時代になると、陸軍歩兵第34連隊の誘致に伴い、本丸堀は埋められました。三ノ丸は官庁や学校などの公共用地となり、戦後、本丸、二ノ丸部分は公園として整備され、巽櫓(たつみやぐら)、東御門、坤櫓(ひつじさるやぐら)の復元もされ一般に公開されています。

 

巽櫓

巽櫓

 

 

駿府城跡天守台発掘調査

駿府城では、天守が焼失した後は天守台(天守の下の石垣造りの土台)だけが残っていましたが、駿府城が廃城になった後の明治29(1896)年に、天守台は取り壊され、その土砂で本丸堀が埋め立てられました。
静岡市では、かつて天守が建っていた跡地の整備方針を決定するため、事前に天守台の正確な位置や大きさ、石垣の残存状況などの学術的データを得ることを目的に、発掘調査を行うこととしました。発掘調査は、2016年8月に開始し、2020年3月まで掘削による調査を行いました。2020年4月からは、出土した遺物を整理し、2022年3月に報告書を刊行しました。

 

発掘調査の様子

 

 

見学ゾーン・発掘情報館きゃっしる

 

駿府城跡天守台発掘調査現場は、現場を常時観覧できる「見学ゾーン」、そして調査に関する基礎情報をわかりやすく展示している「発掘情報館きゃっしる」を併設しています。

きゃっしる外観

発掘情報館きゃっしる

天守台俯瞰写真

発掘調査現場俯瞰

施設ご利用案内

営業時間 9時00分~16時30分(最終入場16時00分)
料金 無料
休館日 年末年始(12月29日~1月3日)
アクセス

静岡市葵区駿府城公園1番1号

JR静岡駅より徒歩約15分

新静岡駅より徒歩12分

城びと(お城情報WEBサイト)

「城びと」とは?

「城びと」は、お城めぐりや歴史旅に行きたくなる情報を発信するWEBメディアです。

日本全国3,000城のお城情報を網羅し、専門家やお城・歴史好きの方々によるお城や歴史にまつわる記事を掲載。周辺観光スポットや全国のお城情報やイベント情報も充実しています。

駿府城も公式アカウントを運営し、最新の発掘調査の様子やイベント情報を定期的にお届けしています。

ぜひご覧ください。

城びと(外部サイトへリンク)

資料等ダウンロード用データ

駿府城跡天守台の発掘調査パンフレット

2016年から2022年の6年で実施された発掘調査を簡単にまとめたパンフレットです。

駿府城独案内(日本語版・English・中文・한국어)

駿府城の遺構を歩いて訪ねることができるよう作成した地図です。散策にご利用ください。

発掘調査現場リーフレット(PDF)

発掘調査現場でこれまでに配布した見学用のリーフレットです。

調査の概要(日本語版・English・中文)

発掘調査現場で配布している海外の方向けの案内です。

観光庁による駿府城公園天守台跡解説(日本語版・English)

現場見学会資料

今までに開催した現場見学会の資料です。

シンポジウム「天守台と金箔瓦の謎に迫る」(令和3年6月12日開催)

シンポジウム「今川館の姿にせまる」(令和5年2月4日開催)

本ページに関する情報

お問い合わせ

観光交流文化局歴史文化課駿府城エリア活性化係

葵区追手町5-1 静岡庁舎新館16階

電話番号:054-221-1085

ファックス番号:054-221-1451

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