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更新日:2025年12月9日
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国登録有形文化財 志田家住宅主屋
志田家住宅主屋(志田邸)について
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旧東海道に北面し、間口の狭い短冊形の敷地に建つ町屋(まちや)建築。木造2階建、切妻造、平入で、土間の戸口に大戸の痕跡、道路に面した開口部に蔀戸(しとみど)を残し、蒲原宿の当時のたたずまいを今に伝えています。令和7年11月、静岡市へ寄贈されました。
志田家は、江戸初期の東海道(現在の古屋敷経由の東海道)に居住していましたが、元禄12年(1699)の高波・津波により旧蒲原宿は壊滅的に被災し、翌元禄13年(1700)に幕府の許可の下、東海道付替え・新蒲原宿設置を行いました。その宿場移動に伴い、現在地(蒲原三丁目、東海道旧蒲原宿の柵地区)に移転しました。
天保13年(1842)には、居宅の南側に醤油醸造を行う工場を新設し、「ヤマロク醤油」の名称で販売開始しました。その際に勧請した伏見稲荷の社や札、大工の記載した札が現存しています。また油、塩の販売も行う商家でもあり、江戸期は代々志田六左衛門を名乗り、屋号は「ヤマロク」でした。
さらに日本の伝統的農家(地主・小作方式による米作農家)として昭和21年(1946)まで米作に携わりました。

現在の主屋は二つの部分からなり、東側部分は安政の東海地震 (1854年)で被災しましたが、壊滅的被害でなかったことから、安政期以前の部分が残り、直後の修復・再建により、今日に至ります。
明治20年代に嫁を迎える準備として西側部分を増築し、昭和2年(1927)、7代当主に代わり、その後、現地管理を預かっていた7代当主の姉の他界以降は、無住となりましたが、当主が、定期的に通って建物を維持・管理してきました。

これまでの修理は、昭和初期と平成初期の瓦葺替え、明治期の戸などへのガラスの使用、昭和10年代の戦時下における鉄供出による開口部鉄格子の木製格子への付け替えと西側の隣家撤去・更地化による壁面部の波板鉄板張り付けなどの外部廻りが主で、内部は一部壁の塗り替え程度で、冷暖房器具導入等は全く行わず、江戸期末の住宅内部を伝えています。
現在は、志田家で江戸時代から使われてきた生活関連品などを展示するとともに、幕府が管理してきた「江戸から大坂までの東海道57次」を中心に街道・宿場等に関する情報も展示・公開し、他の宿場・街道文化の紹介も行っています。
建物の情報
名称:志田家住宅主屋(しだけじゅうたくしゅおく)
所在地:静岡市清水区蒲原3-19-28
文化財体系:登録有形文化財(建造物)
登録年月日:平成13年(2001)8月28日
年代:江戸時代
建造物概要:木造2階建、瓦葺、建築面積194平方メートル

アクセス
- 電車
JR新蒲原駅から徒歩約10分 - 車
富士方面から→国道1号線 高浜ICより車で約5分
静岡方面から→国道1号線 蒲原ICより車で約15分
関連リンク
開館時間については下記をご確認ください。
しずおか東海道まちあるき「志田邸・東海道町民生活歴史館(外部サイトへリンク)