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ページID:11095
更新日:2024年2月15日
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No.2 正使趙珩(翠屏)七言律詩
- 使行年 西暦1655年
- 制作者 趙珩
- 形態 紙本墨書
- 制作年代 明暦元年・西暦1655年
- 寸法 縦34.2cm×横67.0cm
特別に選ばれた土地の、みごとな堂宇(どうう)は海に臨み、背後の山には蜜柑が輝いている。その景観に見ほれ、あれこれ指さして立ち去りがたい。任務を果たして帰路、清見寺に立ち寄った時は暗く、眺望がきかず残念である。住職の心配りで燭台(しょくだい)が運ばれているが、最早楽しむことが出来ない。それに詩を賦そうにも慌ただしい旅程であり、それが募るのは耳を覆わんばかりの瀧の音である事よ。
The stunning temple on this specially-chosen land faces the sea, and the mandarin oranges glitter on the mountains to its rear. Pointing my finger here and there, I admire the scenery, longing to stay. On the return journey after completing our duties, it is dark when we arrive at Seikenji, leaving us without a view. Candlesticks are brought out of concern by the priests, but they allow us no enjoyment. I try to compose a poem, but am weary from our hurried travel, and all that comes to me is the deafening sound of a waterfall.
밤에 청견사에 투숙하며 주지 승려에게 지어주다
찰랑대는 바다 곁의 특별한 임궁,
숲 단장한 금귤이 산기슭에 비친다.
갈 때는 가리키며 철 이르다 여겼으나
오는 길에 올랐더니 아까워라 황혼일세.
사는 중은 마음 있어 다투어 불을 켜나
여행객은 흥이 없어 억지로 행차 멈추고는,
새 시를 못 이룬 채 행색이 바쁜데
폭포 소리 어찌나 귀에 가득 떠드는지.
을미 중동 상완 취병
[인]창주산인
*趙珩(1605-1679年)・・字は君献、号は翠屏、本貫は豊壌。仁祖丙寅年の文科に抜擢されたが、合格を取り消され、再度、庚牛年(1630年)の式年文科に合格し、乙未年(1655年)大司諫となって、通信正使として日本へ派遣され、その後大司憲を経て左右参賛になった。
*琳宮・・寺の別称。
*堂宇・・建物