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更新日:2024年2月15日
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No.24 正使趙曮五言律詩
- 使行年 西暦1763年~1764年
- 制作者 趙曮
- 形態 紙本墨書
- 制作年代 明和元年・西暦1764年
- 寸法 縦31.2cm×横37.8cm
南壺谷の韻に次す
日本の清見寺は、門前が海に迫り波が打ち寄せている。住僧は世俗の雑念を断ち、心を鎮めた境地にいるようで、まるで白雲が世塵(せじん)を離れていくようにみえるし、高い楼台を鳥がよぎるのも、悠然たる自然の景色である。清見寺は洛山寺に景観が似ているとして絵画に示すことも出来ようが、歴代の使節がそれを詩に賦す事がこれまで多かった。しかしながら自然の景観のみならず、人の世の事物に言及したいのであるが、眼前の景観を絵画や文字に託すにしても、耳に響く音声についてはいかにして伝えたらよろしかろうか。
At Seikenji in Japan, waves lap before the temple gates, which face the ocean. The priests refuse worldly distractions and, as if in a state where their souls are at peace, look just like the white clouds lifting from the world; birds passing by the tall tower provide a majestic natural scene. The landscape of Seikenji could be depicted in a painting as resembling Naksansa [a temple in Joseon], and past envoys have composed this often in their poems. I wish to reference not only the natural landscape, but everything in the world of man. Though I confide the scene before me to paintings and writings, how can I ever convey the sounds that echo in my ears?
남호곡의 운을 따라
해 돋는 동쪽의 청견사는
문이 만 겹 파도를 대하였네.
스님이 입정하자 흰 구름 나오고
누각이 높아서 나는 새 지난다.
낙산과 같이 그려도 좋겠다고
한국사신 부친 시가 많은데
풍광 밖의 이야기 하자니
언어가 다르니 어찌하리오.
호곡(壺谷)이 일찌기 이 산을 낙산에 비교하였는데,중이 이 말로 인하여 그림을 요청
하였기에 이른 말이다.
갑신년 봄 통신정사 조엄 [인] 쌍호정
*趙曮(1719-1777年)・・字は明瑞、号は永湖、本貫は豊壌。英祖壬申年の文科に合格し、多くの官職を経てから慶尚道観察使となり、癸未年に正使として派遣された後に大司諫、吏曹判書を歴任した。
*洛山・・江原道襄陽にある寺。洛山寺。
*韓・・韓国。朝鮮の別称。