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更新日:2024年7月19日
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東海道歴史街道二峠六宿
静岡市には、東海道五十三次のうち、蒲原・由比・興津・江尻・府中・丸子の6つの宿場町と、東海道中の難所と言われた、薩埵峠、宇津ノ谷峠の2つの峠があります。
この、江戸時代から大正・明治・昭和・平成と現代まで様々な歴史が眠る「東海道歴史街道二峠六宿」を、歴史を感じながら訪ね歩いてみませんか♪
しずおか東海道まちあるきWEBサイトも、ぜひご覧ください!
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東海道サイン
蒲原宿
江戸から数えて15番目の宿場町である蒲原宿。なまこ壁、格子のある家やクラシカルな洋館などが連なり、まち並み保存などのまちづくりの住民活動も盛んで、ゆったり散策したくなる町です。
天才浮世絵師・歌川広重は、この蒲原宿の風景を、東海道五十三次のなかで唯一の雪の風景である「蒲原夜之雪」として印象的に描いています。
また、この宿の醍醐味はなんといってもその町並みです。国登録有形文化財の旧五十嵐歯科医院をはじめ、旅籠、商家、名主の住宅などが残っています。
名物「桜えびの天日干し」見学にお越しの方へ
桜えびの天日干しは、春(3月下旬から6月上旬)と秋(10月下旬から12月下旬)の桜えびの出漁期間中にしか見ることができない風景。一面ピンク色に染まった河川敷と、ここから見える富士山の姿は必見です。
【蒲原】お休み処
【蒲原】志田邸
由比宿
江戸から数えて16番目の宿場である由比宿は、風情が残る古い町並みに由比本陣公園や東海道広重美術館など、歴史を感じる施設が充実しています。
桜えびとシラスの漁業基地としても有名で、駿河湾の幸などの特産品も魅力的です。
北田、町屋原、今宿、寺尾、東倉沢、西倉沢、そして薩埵峠と、旧東海道の様子が感じられる町並みが残り、幕末に活躍した山岡鉄舟と清水次郎長にゆかりのある望嶽亭藤屋もあります。
広重は海越しの富士山と難所の峠、帆掛け船が浮かぶ駿河湾を描いていますが、それと同じ風景を現在でも堪能できます。
- WEB版「しずおか東海道まちあるき」由比宿(外部サイトへリンク)
- 【由比解説マップ1~広重のように東海道を歩く】(PDF:1,439KB)
- 【静岡市東海道広重美術館】(静岡市)
- 【静岡市東海道広重美術館公式HP】(外部サイトへリンク)
- 【静岡市由比本陣施設「由比本陣公園」】(外部サイトへリンク)
【由比】由比本陣公園
【由比】東海道広重美術館
薩埵峠
興津宿と由比宿の間にある峠で、東海道屈指の難所として知られます。
歌川広重の東海道五十三次「由井」にも描かれており、現在も往時と同じ富士の絶景を眺めることが出来ます。
※展望台付近で発生した崩落により、ハイキングコースの一部区間を通行止めにしています。現在展望台には行けませんのでご注意ください。(令和6年1月10日現在)
詳細はさった峠展望台へのアクセスのご案内をご確認ください。
薩埵峠展望台への詳しいアクセス方法
名主の館小池邸
薩埵峠からの富士山
興津宿
江戸から数えて17番目の宿場町である興津宿は、身延、甲府へ通ずる甲州往還(身延街道)が分岐する交通の要衝であり、参詣の道、塩の道としての遺跡も残っています。
約1300年の歴史を持つ東海の名刹で、朝鮮通信使が訪れたことでも名高い清見寺は、国の史跡に指定されています。
明治以降は、伊藤博文、井上馨など明治の元勲たちの別荘が建ち、避寒地として全国的にも知られていました。坐漁荘を終の棲家とした「最後の元老」西園寺公望公のもとには、「興津詣で」と呼ばれるほど多くの要人が訪れたといいます。
【興津】清見寺
【興津宿】坐漁荘
江尻宿
江戸から数えて18番目の宿場町である江尻宿。戦国時代には甲州武田氏が江尻城や浜清水城を築き、鍛治町、鋳物師町、紺屋町などが配置された城下町も作られて、繁栄していました。
江戸時代になると、巴川河口を利用した清水港には、駿府町奉行が支配するお蔵が18棟も立ち並ぶなど、江戸へ物資を運ぶ重要な港として活気に満ちていました。
また、明治初期に清水港の発展に尽力した清水次郎長が愛したまちでもあり、次郎長生家や菩提寺の梅蔭禅寺、復元された次郎長の船宿「末廣」など、ゆかりの名所・旧跡が残っています。
現在、国の国際拠点港湾に指定されている清水港では、豪華客船や帆船が入港する風景も見られ、日の出地区は近年清水のウォーターフロントとして観光拠点にもなっており、新たな賑わいを見せています。
- WEB版「しずおか東海道まちあるき」江尻宿(外部サイトへリンク)
- 【江尻宿解説マップ(1)清水湊コース~町や港を支えた清水の人々】(PDF:1,357KB)
- 【江尻宿解説マップ(2)宿場コース~巴川の河川舟運でにぎわった宿場】(PDF:614KB)
- 【清水港船宿記念館末廣】
- 【国登録有形文化財次郎長生家(旧高木家住宅)】
【江尻】末廣
【江尻】次郎長生家
府中宿
駿河国の国府が置かれたことから駿府、あるいは府中と呼ばれ、江戸時代以降は東海道の19番目の宿場町として「府中宿」の名で呼ばれるようになりました。
徳川家康公が今川家の人質として幼少期を過ごした地でもあり、晩年には大御所として、ここ駿府から江戸幕府の礎を築きました。
家康公の居城であった駿府城跡には東御門・巽櫓と坤櫓が再建され、本丸跡には家康公の銅像が建てられています。
また、家康公にもゆかりの深い静岡浅間神社や、最後の将軍となった徳川慶喜公の屋敷跡である浮月楼など、多くの史跡が残っています。
東海道で最大規模の宿場町として大いに賑わった府中宿は、江戸時代の大ベストセラーとなった旅行記「東海道中膝栗毛」の著者、十返舎一九の生誕地でもあります。
- WEB版「しずおか東海道まちあるき」府中宿(外部サイトへリンク)
- 【府中宿解説マップ(1)府中コース~府中宿の中心を歩く】(PDF:900KB)
- 【府中宿解説マップ(2)城下コース~家康公が愛した町を歩く】(PDF:1,150KB)
- 【駿府城公園】(外部サイトへリンク)
【府中】駿府城跡
【府中】静岡浅間神社
丸子宿
江戸から数えて20番目の宿場町である丸子宿。その歴史は古く、鎌倉時代までさかのぼることが出来ます。江戸時代に宿駅制度が制定されると、より往来が盛んになり、東海道の宿場で最小の規模ながら、交通の要衝として重要視されました。戦国時代創建の古刹・吐月峰柴屋寺は、月の名所、竹の寺として有名で、国の史跡・名勝に指定されています。
丸子地区は良質な山芋の産地であり、松尾芭蕉が「梅わかな・丸子の宿の・とろろ汁」と詠んだほか、『東海道中膝栗毛』で弥次喜多が食べ損ねたエピソードが登場するなど、名物のとろろ汁が特に有名です。
【丸子】丁子屋
【丸子】大鈩不動尊
【丸子】駿府の工房匠宿
宇津ノ谷峠
丸子宿と岡部宿を結ぶ宇津ノ谷峠は、古くから多くの人が行き交ってきた場所です。
宇津ノ谷の集落をまっすぐに旧東海道が貫き、屋号を掲げた家並みが往時の風景を思い起こさせます。
【宇津ノ谷】明治トンネル
宇津ノ谷集落