印刷
ページID:4944
更新日:2024年2月15日
ここから本文です。
賤機焼
起こり
賤機焼は、江戸時代初期に徳川家の家臣・太田七郎右衛門が、家康から賤機山麓(葵区、静岡浅間神社裏手の山)に二十五石の朱印地を拝領し、「賤機焼」の称号をもらい受けたことに始まります。代々、徳川家、駿府城、久能山東照宮、浅間神社の御用窯として栄えたといいます。
創始期は、900度程の温度で焼き上げており、脆かったため、現存する初期作品は非常に少ないです。
湯呑/宝瓶
衰退と再興
文政末期に起こった、安倍川の大氾濫で、窯場が流れ去り、賤機焼は一時途絶えてしまいます。
明治初期に、太田萬治郎が再興を企てましたが、かつてほどの盛況には戻りませんでした。そこで、明治中期、静岡県が賤機焼の復活を試み、葵区八番町に窯を構えていた青島庄助を担い手として招き入れました。庄助は、見事再興をやり遂げ、明治45年(1912年)に逝去するまで賤機焼を守り続けました。
制作の様子
新たな技術の導入
青島家の二代目・五郎は、常滑焼(とこなめやき:愛知県知多半島周辺の古窯)の技術を導入しました。また、三代目・秋果は、南蛮手(なんばんで:無釉で固く焼きしめる)という焼き方や、釉裏紅(ゆうりこう:銅の顔料を使い紅く発色させる)という装飾技術を取り入れました。
従来の賤機焼に創意工夫を試みることで、より美しく、より丈夫に改良されていき、次第に賤機焼は、静岡独自のローカル色豊かな焼物になっていきました。
現在の賤機焼
賤機焼を復興させた青島家は、現在、五代目となり、葵区柳町に「秋果陶房(外部サイトへリンク)」という工房を構えて、生産を続けています。先祖から引き継いだ陶房で、伝統を継承しつつ、新たな作陶にも挑戦しています。
家康に端を発する静岡独自の歴史と、再興の努力が認められ、現在、賎機焼は、静岡県郷土工芸品(外部サイトへリンク)に認定されています。
工房の様子
特徴
賤機焼で有名なのが、「鬼福(おにふく)」と呼ばれる造形です。徳川家康は、三方ヶ原の戦いにおいて、武田信玄の大軍に浜松城を囲まれた際、城門を開いて太鼓を鳴らし「鬼は外、福は内」と騒ぐという、突拍子もない揺動作戦で無事生還したと伝わっています。合戦後、太田七郎右衛門がこの話にあやかって、外は鬼瓦の形、内は福面を描いた盃を献上すると、家康はとても喜び、賤機焼の称号を与えたと言われています。
現在、鬼の顔は魔除け、福の顔は祝福の意味を持ち、縁起物となっています。
左:器の裏 右:器の内
賤機焼を購入したい方へ
秋果陶房
場所:静岡市葵区柳町95
電話:054-271-2480
HP:http://tuhanshizuoka.com/shizuhata.html
常時500~600点の賎機焼を展示販売
駿府楽市
場所:静岡市葵区黒金町47
JR静岡駅ASTY静岡西館内
電話:054-251-1147
HP:駿府楽市(外部サイトへリンク)
様々な工芸品を店頭で展示販売
秋果陶房のギャラリー
賤機焼を作ってみたい方へ
秋果陶房では、工房の見学や体験教室を開催しています。
場所:静岡県静岡市柳町 95
電話:054-271-2480
日時:10:00~17時00分(不定休)
見学・体験予約:事前にお電話でお申し込みください。
体験内容:賤機焼の製作(作品は後日発送)
受入人数:40名以内
→詳しくは秋果陶房ホームページへ
http://tuhanshizuoka.com/shizuhata.html
制作の様子
このページの画像提供:秋果陶房
画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。