印刷
ページID:10759
更新日:2024年2月15日
ここから本文です。
清見寺朝鮮通信使詩書一覧
ユネスコ世界の記憶と朝鮮通信使
ユネスコ「世界の記憶」とは
国連教育科学文化機関(ユネスコ)が主催する事業の一つで、人類の記憶に留めるべき重要な書類や地図、音楽等の歴史的記録物をデータ化して保存し、広く一般に公開することを目的としています。
清見寺の朝鮮通信使関係資料48点を含む、日韓合計111件333点の資料が、2016年(平成28年)3月、日本と韓国の民間団体(NPO法人朝鮮通信使縁地連絡協議会と財団法人釜山文化財団)によりユネスコ「世界の記憶」に共同で申請され、2017年(平成29年)10月31日、国際諮問委員会の審議を経て登録が決定されました。登録名称は「朝鮮通信使に関する記録-17世紀~19世紀の日韓間の平和構築と文化交流の歴史」です。
その他、日本国内の登録物件としては、1.「山本作兵衛炭鉱記録画・記録文書」(2011年5月登録)2.「慶長遣欧使節関係資料」(2013年6月登録)3.「御堂関白記」(2013年6月登録)4.「舞鶴への生還 1945~1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録」(2015年10月登録)5.「東寺百合文書」(2015年10月登録)6.「上野三碑」(2017年10月登録)があります。
朝鮮通信使とは
朝鮮通信使は、朝鮮王朝と徳川将軍の国書を交換する重要任務を担った外交使節です。豊臣秀吉の朝鮮侵略で断絶した両国の国交は、徳川家康公の善隣外交の意思を朝鮮王朝が受け入れ回復。その後、朝鮮通信使は、徳川将軍の代替わりの際に日本の要請によって朝鮮王朝が派遣し、1607年(慶長12年)から1811年(文化8年)の間に12回来日しました。海路と陸路でソウルと江戸を往復した通信使と日本人との交流が各地で行われ、なかでも清水区興津の清見寺はその代表的な文化交流の場でありました。
国指定名勝庭園
清見寺と朝鮮通信使
清見寺は、「巨鼇山(こごうさん)清見(せいけん)興国(こうこく)禅寺(ぜんじ)」と称し、東海道の関所の一つである清見関(きよみがせき)の関寺(せきでら)として奈良時代に創建されたと伝えられています。
寺の背後に山を控え、眼前に清見潟と三保松原を眺めることのできる絶景の地に位置すると同時に、交通の要衝にあったため、時の権力者である足利尊氏、今川義元、武田信玄、豊臣秀吉などの武将達が保護し、江戸時代には、徳川家康公をはじめ将軍家代々の保護をうけてきました。
庭は、江戸時代の初期に、山本道斉(どうさい)によって作庭されたと伝えられ、家康公は、特にこの庭を愛し、駿府城より石を移してこの庭に配し、また柏樹を自ら植えました。
庭の東北方に高くかかった滝は、九曲泉と呼び、心字の池の水源となり、庭前には、小砂利を盛り、ほうき目を施して、大自然を表しています。
朝鮮通信使もこの庭を観賞し、詩書の中においても、庭園の瀧、松や芭蕉等の草木を詠み、その他にも、方丈前の梅(臥龍梅)、眼前に広がる海原と空などの景色の美しさを賞賛しています。
清見寺は、朝鮮通信使の迎賓館としても使われ、第1回と第3回目は通信使の宿泊場所にもなりました。その後もたびたび休憩場所として使われました。その際、清見寺住職と通信使の文化交流が行われ、通信使による扁額(へんがく)や多くの詩書が、清見寺に残されています。
1994年(平成6年)には、清見寺と同じく通信使による文物が残る福山市鞆の浦の福禅寺、瀬戸内市牛窓の本蓮寺とともに、朝鮮通信使遺跡として国の史跡に指定されました。
清見寺の69点に及ぶ朝鮮通信使関係資料は、2006年(平成18年)に「清見寺朝鮮通信使関係資料」として、静岡県指定有形文化財(歴史資料)に指定されました。
そして、2017年(平成29年)10月、「清見寺朝鮮通信使関係資料」の内、48点が日本と韓国の資料と共に、ユネスコ「世界の記憶」に登録されました。
- 【国指定名勝】名勝清見寺庭園 昭和11年9月3日 指定
- 【国指定史跡】朝鮮通信使遺跡 興津清見寺境内 平成6年10月11日指定
- 【県指定有形文化財】清見寺朝鮮通信使関係資料(69点) 平成18年3月31日指定
- 【ユネスコ世界の記憶】清見寺朝鮮通信使詩書(48点) 日韓共同申請 平成29年10月31日登録
清見寺山門
*本コンテンツに掲載する清見寺朝鮮通信使詩書に関する出典は下記のとおりである。
「清見寺所蔵朝鮮通信使遺物図録」静岡市・社団法人朝鮮通信使文化事業会 2006年
「清見寺所蔵 朝鮮通信使資料集成」清見寺 平成27年
*本コンテンツに掲載する清見寺関係画像の使用については許可が必要です。本コンテンツの利用については、静岡市文化財課(054-221-1066)へお問い合わせ下さい。
*資料の番号(No.)は、「世界の記憶」に登録された30件48点を登録申請リスト順に付番したものである。
*英文は、日本語現代語訳を英訳(静岡市)した。
ユネスコ世界の記憶登録「清見寺朝鮮通信使詩書」48点
- No.1 読祝官朴安期(螺山)五言律詩
- No.2 正使趙珩(翠屏)七言律詩
- No.3 副使兪瑒(秋潭)五言律詩
- No.4 従事官南龍翼(壷谷)五言律詩・七言律詩
- No.5 正使趙泰億(平泉)五言絶句
- No.6 正使趙泰億(平泉)七言律詩
- No.7 副使任守幹(靖庵)七言絶句
- No.8 従事官李邦彦(南岡)五言律詩・七言絶句
- No.9 書記南聖重(仲容・泛叟)五言絶句・七言絶句
- No.10 書記南聖重(仲容・泛叟)七言律詩・五言律詩
- No.11 正使洪啓禧(澹窩)七言絶句
- No.12 正使洪啓禧(澹窩)七言絶句
- No.13 正使洪啓禧(澹窩)・副使南泰耆(竹裏)・従事官曹命采(蘭谷)七言絶句
- No.14 副使南泰耆(竹裏)七言絶句
- No.15 従事官曹命采(蘭谷)七言律詩
- No.16 従事官曹命采(蘭谷)七言絶句
- No.17 製述官朴敬行(矩軒)七言律詩
- No.18 製述官朴敬行(矩軒)七言律詩
- No.19 書記李鳳煥(済庵)七言律詩
- No.20 書記李鳳煥(済庵)七言律詩
- No.21 書記李命啓(海皐)七言律詩
- No.22 書記李命啓(海皐)七言律詩
- No.23 書記柳逅(酔雪柳子相)七言律詩
- No.24 正使趙曮五言律詩
- No.25 副使李仁培(小行人)五言律詩
- No.26 従事官金相翊(弦庵)五言律詩
- No.27 従事官金相翊(弦庵)七言絶句
- No.28 製述官南玉(秋月)五言律詩
- No.29 製述官南玉(秋月)七言絶句
- No.30 書記元重挙(玄川・子才)五言律詩
- No.31 書記元重挙(玄川・子才)七言絶句
- No.32 書記元重挙(玄川)書状
- No.33 書記成大中(龍淵)七言絶句
- No.34 書記成大中(龍淵)五言律詩
- No.35 書記成大中(龍淵)七言絶句
- No.36 書記成大中(龍淵)七言絶句
- No.37 書記成大中(龍淵)五言律詩
- No.38 書記金仁謙(退石・士安)五言律詩
- No.39 書記金仁謙(退石・士安)七言絶句
- No.40 書記金仁謙(退石・士安)五言律詩
- No.41 名武軍官李海文(兼泉・徳水)五言律詩
- No.42 騎船将卞璞(述斎)五言律詩
- No.43 伴人洪善輔(黙斎)五言律詩
- No.44 伴人洪善輔(黙斎)七言絶句
- No.45 明和元年通信使書記書上
- No.46 槐翁筆 副使慶暹七言絶句・槐翁筆 従事官丁好寛七言絶句
- No.47 清見寺第11世関棙主忍書状
- No.48 清見寺第11世関棙主忍七言絶句