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更新日:2024年6月11日
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徳川家康~大御所と駿府城下町~
徳川家康は幼年期、壮年期、そして晩年と3度の期間を駿府(現静岡市街地)で過ごしました。このうち壮年期と晩年には駿府を自身の拠点に定め、駿府城を居城として整備しました。特に晩年の「大御所時代」には、家康率いる「大御所政権」が江戸幕府の補助的機関として大きな影響力を持ち、駿府城下町も政治・外交の中枢都市として栄えました。
竹千代像(静岡駅)
今川の人質として駿府で過ごした幼年期の家康を表した銅像です。「竹千代」は家康の幼名です。
壮年期の家康像(静岡駅)
家康の二度目の駿府居住の頃、家康40代後半の姿を表した銅像です。題字は徳川宗家十八代徳川恒孝によって書かれています。
晩年の家康像(駿府城公園)
「大御所」として駿府に移ってきた頃の家康の姿を表した銅像です。家康は晩年の65歳から亡くなる75歳までの約10年間を駿府で過ごしました。