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更新日:2024年10月24日
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早わかり駿府城
早わかり駿府城
天守はなぜ江戸時代の初めになくなったのか
明治時代に廃城になるまで、火事や地震で被災する度に天守台や他の建物は再建されたのに対し、寛永12(1635)年以降天守が再建されることはありませんでした。これは徳川家による江戸幕府の体制が盤石なものとなり、戦や権威のシンボルであった天守が必要ない、天下泰平の世になったことを示すと考えられています。
現在の駿府城
駿府城には三重の掘がありましたが、市街地化などによって埋め立てられ、幅が狭くなりました。現在では二ノ丸堀(中堀)より内側が駿府城公園となっており、宝暦年間(1751~1763)の修復記録に基づいて、東御門や巽櫓などが復元・公開されています。