拭漆 うつわ
駿河漆器
- 最終更新日:
- 2021年3月23日

起こり
海外進出
駿河漆器の平皿
慶応3年(1867年)に開催された第2回パリ万国博覧会には、日本を代表する物産として、駿府から漆塗りのタンスが出品されました。また、明治6年(1873年)のウィーン万国博覧会では、寄席木細工の漆器が静岡から出品され、賞に輝きました。日本の伝統的な出展品は珍しがられ、いわゆるジャポニスム(日本ブーム)の契機となり、海外から注文が殺到しました。対欧貿易が急速に拡大し、駿河漆器はヨーロッパ各国に広がりました。
時代の移ろい
塗りに用いる刷毛
ところが次第に、粗製乱造によって評判を落とし、さらに第一次世界大戦で対欧貿易が途絶え、多くの駿河漆器職人は廃業し、駿河塗下駄や駿河雛具へ転職していきました。
しかし、一部の職人は、品質向上、名声維持のため努力を続け、終戦後の昭和34年(1959年)には、静岡漆器協同組合(現在の静岡漆器工業協同組合)を組織し、結束して駿河漆器を支えてきました。
→駿河漆器の詳しい歴史について(PDF)
現在の駿河漆器
駿河漆器のワイングラス
組合は、「伝統の技と心を守り育てながら、現代に生かす」という意味を込めて「不易流行」をコンセプトに、日々精進しています。
→駿河漆器パンフレット「不易流行」(PDF)
変わり塗りの開発
磯谷利三二の肖像画
静岡の変わり塗りの開発者は、磯谷利三二(天保13年~明治37年)です。利三二は刀剣の研師でしたが、廃刀令により職を失い、漆器商に転業しました。刀剣の鞘に用いる塗り方を応用し、一風変わった塗り技術で漆器を作ったと言われています。
利三二が開発した変わり塗りは、各地の共進会、万国博覧会などで受賞し、国内外から高評価を受けます。後に、静岡漆器工業社を設立し、駿河漆器の品質維持、技術向上に貢献しました。
→磯谷利三二について(PDF)
変わり塗りの発展
変わり塗り(珊瑚塗)の菓子器
特に、静岡県工業試験場(現在の静岡県工業技術研究所)では、染箔塗、羽衣塗、硬化彩漆法、浮島塗、蜻蛉塗、紅輝塗、など多くの変わり塗りが開発されました。多種多様な技法は、漆器はもとより、家具、仏具、建物、塗下駄などにも応用されています。
→変わり塗りについて(PDF)
静岡の名工
新井吉雄 氏
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