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更新日:2026年2月4日
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青葉シンボルロード再整備に向けた取組み

青葉シンボルロードのリニューアル案イメージイラスト
青葉シンボルロード再整備の概要
青葉シンボルロードは、静岡都心に位置する総延長約500メートル、幅36メートルの、緑地・車道・歩道が一体的に整備された、静岡都心のシンボルとなる街路です。
中心市街地の貴重なオープンスペースであることを活かし、週末の様々なイベントや冬季のイルミネーションなどにより、多くの人に親しまれる、市民憩いの場、潤いの場として重要な場所となっています。
しかし、整備から30年以上が経過し、施設や設備の老朽化が進んでいることから、再整備に向けた検討を行っています。
青葉シンボルロードの歴史
青葉シンボルロード誕生まで
1940年(昭和15年)、1945年(昭和20年)2つの大火
静岡都心は、1940年1月15日に発生した静岡大火、1945年6月19日に受けた静岡大空襲と2つの大火を経験しています。
1948年(昭和23年)延焼防止帯の整備
青葉シンボルロードのある場所は、かつては道路幅が狭く、砂利道で歩道のない空間でしたが、静岡大火復興事業として、防火・防災の目的のために36m幅の延焼防止帯として整備され、青葉通りが生まれました。
この当時公園機能はなく道路機能のみで、中央には防火水路が設けられていました。
その後、1967年(昭和42年)にはこの水路を覆い、収容台数198台の路上駐車場として改修されています。
青葉シンボルロード誕生から現在まで
1984年~1987年(昭和59年~昭和62年)路上駐車場の廃止と、シンボルロード整備決定
民間の駐車場が次第に増え、1978年(昭和53年)に駐車場廃止の陳情があり一部廃止が行われ、1984年(昭和59年)には路上駐車場が廃止となりました。
1987年(昭和62年)に市政100周年を記念して、青葉通り線の空間整備を実施する方針が出され、青葉シンボルロードの計画が動き出しました。
1988~1991年(昭和63年~平成3年)シンボルロード整備事業
1988年(昭和63年)から始まった青葉シンボルロード整備事業では、静岡市の都心に位置する青葉通線を市民の憩いの場、うるおいの場として中心市街地における魅力ある都市空間の確保を図り、都市の顔となるよう、青葉緑地と両側の車道・歩道、そして常磐公園までを含め、一体で整備がされました。当時は街区ごとに光・イベント・安らぎ・水の4つをテーマに構成され、テーマに則したモニュメントを設け来街者を誘いました。
1998年(平成10年)青葉イベント広場「葵スクエア」の整備
その後、呉服町通りと市役所の間の青葉イベント広場「葵スクエア」も整備され、現在の姿となりました。
現在
今では大道芸ワールドカップや静岡まつり、静岡おでん祭など、静岡らしさあふれるイベントの会場として定着しています。
また、ケヤキ並木の緑や開けた空間が作るオープンスペースが、都心部に不足する日常の憩いや安らぎの場所として欠かせないものとなっています。
この価値を将来のまちへ繋いでいくため、再整備に向けた検討を進めていきます。
再整備に向けた取組について
青葉シンボルロード再整備に向け、様々な取り組みを行っていきます。
青葉シンボルロード意見交換会「アオバライフLab.(ラボ)」
これまでの取組の振り返りやリニューアルの考え方を、市民の皆さんに知っていただくとともに、行きたくなる青葉シンボルロードの未来について静岡市と皆さんで共有することを目的に、全3回の意見交換会を行います。
(2026年2月4日、2月25日、3月25日に開催予定)
青葉シンボルロード実証実験「アオバリビング」
静岡都心を人中心の空間にシフトし居心地が良く歩きたくなる街中を創出していくことを目指し、青葉シンボルロードを題材に、人に優しく、人が居たくなる空間になるとまちがどう変わるのかを市民みんなで体験・共感し、また効果や影響を検証することを目的に実施しました。
(2023年10月4日から10月14日までの期間で実施)
詳しくは、アオバリビングのページをご覧ください。
静岡都心の未来を考える「おまちライフLab.(ラボ)」
ワークショップで青葉シンボルロードを含む街中の未来の暮らし方を想像したり、フィールドワークで街中の課題を発見することを目的に実施しました。
(2023年5月17日、7月6日、8月3日、11月23日実施)